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日本アニメ、絶賛衰退中 (1)−−マルチメディア展開からサブカル複合体へ

 現在、日本のテレビアニメは、質の低下が顕著で、危機的状況のさなかにある。だが、恐ろしいことに、多くの人がそのことに気がついていない。


○黄金期の終焉

 日本の劇場用アニメは、1984年の『風の谷のナウシカ』と『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を転機とし、90年代半ばの「ジャパニメーション」ブームへと飛躍した(この間の状況は『MEMORIES』のレビュー参照)。これに対して、テレビアニメ革命は、やや遅れて始まる。『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)のブームを足がかりに、90年代後半から00年代前半にポテンシャルエネルギーを蓄えたアニメ界は、00年代後半から10年代初頭に掛けて、一気に優れた作品を量産し始める。

 テレビアニメが黄金期を迎えたのは、優秀なクリエーターが輩出した結果と言えよう。アニメを見て育った世代が作る側に回り、「子供を喜ばせる(子供だましの)アニメ」ではなく、「自分たちが作りたいアニメ」を目指したことが大きい。『エヴァ』の庵野秀明(1960年生まれ)、『美少女戦士セーラームーン』の佐藤順一(60年)らによるアニメ革命を継承した佐藤竜雄(64年)や幾原邦彦(64年)、少し遅れて黄金期につながるムーブメントを生み出した神山健治(66年)、渡辺信一郎(65年)、浅香守生(67年)、谷口悟朗(66年)らは互いに歳が近く、70年代の『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』に興奮し、同じような思いを持ってアニメ業界に入ったと想像される。

 しかし、こうしたクリエーターたちが作り上げた「傑作をはぐくむ土壌」が、テレビアニメに金儲けの匂いを嗅ぎつけた企業人によって、荒らされつつある。私は、そのことを真剣に憂える。

 昨年から今年に掛けて、『君の名は。』や『この世界の片隅に』などの話題作が登場しており、日本アニメは絶好調ではないかと思う人がいるかもしれない。確かに、話題作は目白押しなのだが、問題は、それらを作ったのが、テレビから離れたアニメ作家だという点である。

 『君の名は。』を手がけた新海誠は、処女作から一貫してテレビに近づかず、独立系作家の立場で劇場用アニメの制作を行ってきた。片渕須直は、テレビ用に作った『BLACK LAGOON』(06年)以降は商業性の乏しい芸術的アニメに専念しており、『この世界の片隅に』では、資金の一部をクラウドファンディングで調達した。『エヴァンゲリオン』で一世を風靡した庵野秀明は、『彼氏彼女の事情』(98年)を途中で投げ出した後はテレビアニメから遠ざかり、16年にアニメ的手法を取り入れた実写映画『シン・ゴジラ』を発表した。『四畳半神話大系』(10年)でアニメファンを唸らせた湯浅政明は、しばらくアメリカ向けの作品などを手がけた後、いったんは『ピンポン THE ANIMATION』(14年)で日本のテレビアニメに復帰したものの、17年に2本の劇場用アニメを発表してテレビとは距離を置く姿勢を示した。

 いまや、有能なアニメのクリエーターは、テレビを見限り出している。


○アニメは好調なのか?

 アニメは、ディスク(DVD/BR)やグッズの売り上げが好調で活況を呈しているように見えるが、実際には、それも怪しい。『ガンダム』や『エヴァ』など過去のヒット作で作品の質と人気が連動したのに対して、最近のアニメは、質がさほどでもないのに、そこそこに売れるからである。

 アニメの質と人気が連動していないことを示す好例が、『名探偵コナン劇場版』の興行収入と評価の推移である。

 『名探偵コナン』は(灰原哀が活躍するエピソード以外は)あまり好きではなく、レビューもしていないが、劇場版がテレビ放送される際には見ることにしており、おおよその内容はわかる。ここでは、劇場版全21作の興行収入(Wikipediaに掲載されたもの)と評価(あにこれβというサイトでの総合得点)のグラフを掲げる。最高評価を得たのは、72.7点を獲得した第6作『ベイカー街の亡霊』(監督:こだま兼嗣)で、ミステリ作家・ドラマ脚本家として知られる野沢尚が脚本を執筆した。最低得点は、第11作『紺碧の棺』の59.4点である(見やすいように、50点を差し引いた値を折れ線グラフで示した)。

名探偵コナン劇場版

 あにこれβの評価は絶対的なものではなく、あくまで一つの目安に過ぎないが、それでも、興行収入と評価が必ずしも一致しないという傾向は読み取れる。私が高く評価するのは、こだま兼嗣が監督した初期作品で、中でも、第3作『世紀末の魔術師』と第5作『天国へのカウントダウン』が好きだ。正直言って、第9作『水平線上の陰謀』以降は、どれも面白くない。にもかかわらず、近作になるほど、観客動員数が増えている。これは、子供時代にテレビで『コナン』を見た世代が、大人になって劇場に足を運ぶようになったからだろう。特に、ここ2年ほどは、『君の名は。』や『この世界の片隅に』のヒットに後押しされたのではないか。

 現在、アニメビジネスを推し進める企業人は、アニメの質を見極める眼力を持たず、単に、収益だけで状況を判断しているように思われる。劇場版の観客動員数やテレビアニメのディスク/グッズの売れ行きが伸びているのだから、アニメは好調である−−そう考えるのかもしれない。

 現実はそんなに甘くない。確かに、買う人が増え売れ行きは伸びた。だが、それは、PTAによるアニメ批判が下火となり、親とともにアニメを楽しんだ世代が、そのまま「アニメに金を出しても恥ずかしくない」と感じる大人になったからなのである。『ガンダム』や『エヴァ』のブームとは異なり、アニメの魅力によって新たな購買層を生み出したわけではない。したがって、購買層の拡大がいつまでも続くことはなく、近い将来、必ず頭打ちになる。また、アニメに感動して支出したのではないから、他の分野で面白いものがあれば、すぐそちらに流れていくだろう。

 潜在購買欲をいかに引き出すかという観点から見ると、現在のアニメビジネスは、決して成功しているわけではない。アニメが個々の消費者を引きつける力は、黄金期と比べると、はっきりと衰えている。


○サブカル複合体の形成

 ここで、現在に至るまでのアニメビジネスの歴史を、簡単に振り返っておこう。

 アニメ制作は、コストがかさむのに見返りが小さく、本来、ビジネスとして成立しにくい。動きは口パクのみといった安価な制作方法を手塚治虫が提示し、テレビ局がプログラムに採用したことで、60年代から子供向けアニメが量産され始めるが、番組スポンサーは、作品をパブリシティに利用する出版社や玩具メーカーなどに限られていた。脚本やモンタージュ(場面を対位法的に組み合わせる編集テクニック)などに見所があったものの、コストを極限にまで抑えた作画はいかにも貧相で、現代日本を代表する芸術ジャンルに成長するとは、到底思えなかった。

 状況が変わり始めるのは、海外のOTAKUたちが日本アニメにはまり出し、押井守『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(95年)のビデオ売り上げが全米No.1になった頃から。こうした動向に注目した一部の企業人は、まず、アニメの海外展開を模索する。しかし、成功したのは、海外でのビデオ販売が好調だった神山健治『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX』シリーズ(02年-)くらいで、ハリウッドに倣って巨額な資金を投入した劇場用の大作アニメは、興行的に悲惨な失敗となった『ファイナルファンタジー』(01年)をはじめ、バンダイが中心となって制作した『メトロポリス』(01年)『スチームボーイ』(04年)など、いずれも観客動員が伸び悩んだ。有能なアニメーターは数が限られるので、いくら金をつぎ込んでも、美しい背景や滑らかな動画ならともかく、「面白いアニメ」を生み出すことはできない−−そんな当たり前の事実が確認されたわけである。

 アメリカでは、ディスニー社などが早くからアニメビジネスを成功させていたが、これは、海外の英語圏を含めればマーケット規模が日本の何倍もあり、テレビと遊園地を利用したパブリシティによって、莫大なキャラクターグッズ売り上げが期待できるアメリカならではの事情による。そこで、日本独自のアニメビジネスを画策する人々は、よりコンパクトなビジネススキームを考案した。それが、集約的なマルチメディア展開である。

 マルチメディア展開自体は、昔からあった。手塚治虫のテレビアニメは、多くがマンガ雑誌の連載作品を原作にしたもので、雑誌にキャラクターのシールなどのおまけを付けることは広く行われていた。また、ガンプラやクリィミーマミのステッキも、玩具メーカーの人気商品だった。しかし、00年代に入ると、こうした動きが、一部の出版社や玩具メーカーに限らず、多くの関連事業を巻き込んで拡大される。

 アニメの原作は、主に、マンガ・ライトノベル・ゲームなどの人気作品から選ばれるようになる。アニメがヒットしたときには、逆に、コミカライズ・ノベライズ・ゲーム化が行われる。さらに、アニソンやフィギュアなどのアニメ関連商品も、積極的に売り出される。これらのジャンルのファン層は、かなりの部分が重なるので、集約的な宣伝の効果が大きい。場合によっては、聖地巡礼のような新たなビジネスチャンスも生まれる。

 ここまで来ると、アニメはもはや、単にそれだけを見て楽しむ作品ではない。アニメのパブリシティを利用して結びついたさまざまな事業が、サブカル分野全般にわたる複合体を形成する。テレビというマスメディアを使って全国展開されるテレビアニメは、こうした複合体において中核的な役割を担う戦略的な商品に変貌していった。

 しかし、この変化が、日本アニメから創造性を奪うことになる。

(2017年11月11日)

(「日本アニメ、絶賛衰退中 (2)−−プロデューサーたちの死角」に続く)