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アニメで歴史のお勉強(ヨーロッパ編)

 日本のテレビアニメには、昔のヨーロッパを舞台にした作品が少なくない。考証が杜撰で見るに堪えない作品がある一方で、歴史の真実をえぐり出した名作も、決して稀ではない。


 『英國戀物語エマ』は、19世紀末のイギリスにおける使用人と貴族の関係を見つめた傑作である。日本のアニメには、メガネっ娘メイドが登場することが少なくないが、メイドの“本場”と言っても良い19世紀のイギリスには、メガネを掛けたメイドなど、ほとんどいなかったろう。メガネ自体は、すでにかなり普及していたものの、下層階級に属し読み書きがやっとという程度の教育しか受けていないメイドたちにとって、上流階級向けの高級品であるメガネは、無用の長物だったのである。貴族たちは、卑しい生まれだと使用人を蔑んでおり、メイドを弄ぶことはあっても、正式の妻として迎えることは、常識的にあり得なかった。

 しかし、こうした階級社会は、19世紀後半には崩れつつあり、新興ブルジョアジーが貴族の地位を脅かしていた。アニメ『エマ』では、成金と見下されないために息子を貴族と結婚させようと画策するブルジョアの父親と、そのやり方に反発する息子ウィリアムの葛藤が描かれる。そんなウィリアムの前に登場したのが、エマだった。彼女は、人間の品性を決めるのは出自ではなく教育だと信じるストウナー夫人から上流階級の子弟と同等の教育を受け、メガネまで買い与えられていた。知性と上品さを兼ね備えたエマと階級制度そのものに疑問を感じ始めたウィリアムの恋愛に、さまざまな階級の登場人物が絡んで、重厚で真摯なドラマが展開される。


 19世紀終盤のパリで流行したジャポニズムに目を向けたのが、『異国迷路のクロワーゼ』である。ジャポニズムは、単にエキゾティックな異国の文物に対する嗜好ではなく、職人仕事に見られる誠実さと浮世絵などに描かれた奔放さを併せ持つ日本文化への憧れを包含する。『クロワーゼ』に登場する資産家の娘二人のうち、まじめな姉が、コルセットで胴を締め付ける窮屈な衣服を身につけ、付き合いも身分の高い相手に限定していたのに対して、より自由な気風の妹は、キモノをざっくりと着こなす江戸の町娘に羨望を覚え、市民の行き交う商店街に現れた日本の少女・湯音に強く惹かれる。

 湯音のように日本からヨーロッパに渡る少女は、当時はほとんどいなかったろう。しかし、津田梅子のようなケースもある。彼女は、1871年、欧米における女子教育の実情を学ぶため、わずか6歳で他の4人の少女とともにアメリカに留学、そのときの経験を生かして、後に女子英学塾(現在の津田塾大学)を創設した。こうした例を参考にして、進取の気性に富んだ家庭から送り出された少女が、まだ旧弊な風習の残るパリで何を見聞きするのか、想像を膨らませることは可能である。このアニメは、歴史の知識に基づいて豊かな想像力を羽ばたかせた成果と言って良い。


 19世紀後半になっても、植民地を持たない中央ヨーロッパの国々は貧しかった。特に、観光と精密工業で豊かになる前のスイスは、鉄道もほとんど通っておらず、痩せた土地で人々が互いに支え合って生きる寒村の国だった。不運が重なって家庭が困窮し、口減らし(年季奉公ではない)のためにスイスを出てイタリア・ミラノで煙突掃除人として働くことになったロミオの苦闘を描く『ロミオの青い空』は、貧困から脱するためには何が必要かに目を向ける。

 細い煙突に潜り込んで煤を取り除く煙突掃除の仕事には、さまざまな危険が伴う。転落事故だけでなく、煤のせいで病気に罹ることも多く、早死にする若者が続出した(19世紀に発ガン物質が発見されるきっかけとなったのは、煙突掃除をしていた青少年に、若年層には珍しいタイプのガンが多発したことである)。過酷な労働が嫌になっても、遠くスイスから働きに来た少年たちは、高級品である革靴は買えず、100キロを超える山道を歩いて帰ることもままならない(馬車に乗る金などあろうはずがない)。体が大きくなると職を失うので、アニメに登場する狼団のような愚連隊に加入して犯罪を重ね、最後は野垂れ死にするのが関の山である。そんなロミオたちを、誰がなぜ救うのか−−アニメ最終話は、涙なしに見ることができない。


 『狼と香辛料』では、中世ヨーロッパにおける商売のあり方がリアルに描かれる。現在ならば商法違反になる行為であっても、法制度が未整備な当時にあっては、生きるための知恵と割り切らなければならない。各地に支店を設置して情報網を張り巡らす巨大な商会に対して、個人で行商を営む主人公がどのように立ち向かうかが見所である。

 さらに、文化によって、オオカミに対する見方が大きく異なる点も興味深い。農耕文化圏で、田畑を荒らす害獣を食い殺すことから神と崇められる一方で、牧畜文化圏では、人に馴れず羊を襲う愚かなケダモノとして見下される。アニメの舞台となる北方ドイツでは、古来、オオカミ信仰が根付いていたのに、もともと遊牧民族の宗教だったキリスト教が普及するにつれて、オオカミに対する嫌忌の念が増した(欧米人のオオカミ嫌いは、グリム童話からディズニーアニメに至るまで、キツネとオオカミの描き方の格差に如実に表れる)。そうした知識があると、“賢狼”ホロが何を嘆いているのか、理解できるだろう。


 ヨーロッパ以外を舞台としたアニメでは、禁酒法が施行されていたアメリカにおける能天気なギャングたちの無法ぶりを描いた『バッカーノ!』、終戦から間もない日本で戦禍の再来に脅える人々の不安を背景にした『魍魎の匣』や『二十面相の娘』などが面白い(幕末期や戦国時代の日本を描いたアニメに、優れた作品が少ないのは、何とも残念だが)。アニメが子供向けの娯楽とは限らないことを、こうした作品を通じてわかってほしい。

(2017年12月09日)