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キャラクタービジネスの光と影 〜「けもフレ2」騒動に見る〜

 2017年の覇権アニメ『けものフレンズ(けもフレ)』の続編として2019年に放送された『けものフレンズ2』は、ニコニコ生放送やAmazon Prime Videoで異様なまでの低評価を記録し、関係者のツイッターやブログは暴言が飛び交って炎上した。途中からニュースを耳にした人は、何が起きたのかよくわからない事件だろう。ここでは、背景にある事情を考察したい。キーワードは、「キャラクタービジネス」である。


○キャラクタービジネスとは

 キャラクタービジネスは、アメリカでは、巨大な規模に膨れ上がっている。バットマン、スパイダーマン、アベンジャーズなど、主にアメコミの人気キャラを起用したビジネスで、映画・アニメ・漫画や各種グッズで金を稼ぐ。映像はあくまでPRの手段であり、一般にグッズ販売の方が高収益となる。

 こうしたビジネスの長所は……すでに認知されているキャラを使い回すので、宣伝効率が高い。ターゲットは若年層であり、上の世代からの口コミが有効。10年足らずでファンが入れ替わるため、新作が「ほぼリメイク」でかまわない。旧作への言及があると、それだけで往年のファンも喜ぶ。クリエイティブである必要がなく、ムラッ気のあるクリエイターに振り回されずに済む。つまり、人気キャラとは、低コストで確実にヒットする作品を生み出してくれる、実にありがたいお宝なのである。

 アメリカでの成功を見て、日本でもキャラクタービジネスを画策する企業人が少なくないが、必ずしもうまくいっていない。その理由は、民族性の違いにある。アメリカ人は、圧倒的に強いヒーローが好きで、彼らが悪を叩き潰すシーンなら何度でも喜んで見る。一方、日本人は、敗者の美学を愛する。敗北は1回限りでないと意味がないので、続編が作れない。昔、テレビ版『宇宙戦艦ヤマト』総集編に続く劇場版第2作『さらば宇宙戦艦ヤマト』が、多くの隊員が戦死する哀切さ故に大ヒットしたあと、同じプロットでラストだけ異なるテレビ版『宇宙戦艦ヤマト2』が作られ、引き続き、死ななかったことにされた隊員が新たな冒険に旅立つ劇場版第3作『ヤマトよ永遠に』が発表されたが、これほどあざとい手口はそうは使えないだろう(『美少女戦士セーラームーン』で使われたが…)。

 日本で人気のキャラと言えば、ドラえもん、ルパン三世、名探偵コナンなどで、これらはいずれも、自身がヒーローと言うよりもドラマ作りの枠となる要員である。スタッフは、新作のたびに、手を変え品を変え新たなドラマを構想しなければならない。日本人好みの「なかなかゴールしない恋愛」で色を添えても、結末に関心を持つファンをジリジリさせてしまう。それではとキャラが結ばれるシーンを描いたが最後、後が続かない。『うる星やつら』でラムとあたるを接近させた結果、人気が凋落したという前例もある。日本のキャラクタービジネスがアメリカほど成功しない訳である。

 それでも、人気キャラが誕生すると、数年間はそこそこの稼ぎとなる。『らき☆すた』『ご注文はうさぎですか?』『ガールズ&パンツァー』などのアニメがスマッシュヒットを記録した後、聖地巡礼のような派生ビジネスが一時的に盛んになった。小規模ではあるものの、キャラクタービジネスはそれなりに儲かるのである。


○『けもフレ2』騒動の背景

 『けもフレ2』騒動は、こうした日本流キャラクタービジネスを実践しようとした企業人が、クリエーターの価値を理解していなかったために起きた。

 まず、発端となった「けものフレンズ」というコンテンツについて、簡単に見ていこう。これは、KADOKAWAなど十数社で構成された「けものフレンズプロジェクト(以下、KFPと略す)」が展開するメディアミックス企画。吉崎観音のデザインによる萌えキャラ風擬人化動物「フレンズ」を登場させる作品として、2015年にまずスマホゲーム、続いて少年誌連載の漫画としてスタート(私はいずれも未見)、16年にテレビアニメ化も決定した。しかし、期待されたほどの人気は出ず、ゲームと漫画は16年末から17年初めに相次いで打ち切られ、17年1月スタートのアニメも低予算にとどめられた。

 このアニメが予想外の大ヒットになったことから、メディアミックスの構想が息を吹き返す。新たなスマホゲームや舞台、コラボやグッズへとつながり、17年7月にはアニメ第2期の構想が発表された。

 ここで問題が起きる。第1期のヒットをもたらした最大の功労者であるたつき(脚本・監督)が、第2期制作からはずされたのである(17年9月)。その理由は公表されていないが、推測することは可能である。おそらく、KFPが、金蔓となったフレンズというキャラを利用したビジネスを企画したのに対して、たつきは、自分の創り上げた作品世界をさらに深化させようと試み、両者の方向性が食い違ったのだろう。ここで考えなければならないのが、法律上の権利である。


○著作権の限定性

 クリエイティブな作品を保護する法的な権利としては、「著作権」が知られている。しかし、その適用範囲は意外に狭い。

 この権利は、デッドコピー(丸写し)か、あるいは、誰が見ても原作の表現を真似したと思えるような模写を、勝手に広めてはならないというものである。法律の表現を用いると、複製権・公衆送信権(ネットにアップロードするなどの権利)・展示権・頒布権・譲渡権・貸与権・翻訳権などが著作権者に帰属する。例外は、私的使用(個人的、家庭内またはこれに準じる限られた範囲内での使用)か、研究開発ないし教育の目的での使用などに限られる(詳しくは、著作権の解説書を参照していただきたい)。

 注意しなければならないのは、著作権(著作者人格権ではない)はあくまで表現のコピーを制限するものであって、内容を真似することは禁じられていない点である。これは、ある意味で当然である。H.G.ウェルズの小説『タイムマシン』を真似することが禁じられたら、時間航行を取り上げたSFが発表できなくなってしまう。ディズニーアニメ『ライオン・キング』は手塚治虫の『ジャングル大帝』にそっくりだが、絵柄や台詞をコピーしたわけではないので、著作権侵害で訴えることは難しい。

 著作権がキャラクターに及ぶかどうかは、いわゆる「ポパイ事件」の判決が参考になる。このケースは、漫画「ポパイ」の主人公を模した図柄の商品を販売した業者に対して、著作権者が著作権侵害で訴えたもの。最高裁判決では、商品がポパイの図像のコピーに当たるので複製権の侵害だとされたが、その一方で、漫画から離れた抽象的概念としての「ポパイ」は、具体的な表現ではないので、著作権の対象となる著作物と認められなかった。客がポパイだと思うような絵で商売するのは御法度だが、小説などでポパイっぽいキャラを登場させるのはかまわないということである。


○キャラクタービジネスに関わる法的権利

 キャラクターが著作物として認められないことは、これを利用してビジネスを展開する上での弱点となりかねない。そこで、企業人は、さまざまな法的権利を組み合わせることで、キャラクターに対する権利を確保しようとした。こうした権利には、次のようなものがある。

著作権:キャラクター画像などの無断コピーを禁じる。ただし、ファンによる二次創作は、特例として容認されることが多い。『けもフレ』の場合、KFPは、「事業性の高い営利目的での利用」「けものフレンズプロジェクトに帰属する素材を直接二次利用すること」などを除くとの条件付きで二次創作を容認した(正確な内容は、KFPホームページを参照のこと)。
著作者人格権:著作権法で著作権と並んで規定されているもので、著作権が譲渡可能であり、しばしば著作者と著作権者が異なる(ややこしい!)のに対して、著作者人格権は、死ぬまで著作者に帰属する。著作者人格権には、公表権・氏名表示権などがあるが、特に重要なのが同一性保持権で、著作者の意に反して「変更、切除その他の改変を受けない」とする権利である。アニメ化された作品でこの権利が行使されると厄介なので、アニメ制作会社は、通常、著作者人格権の不行使を要求する契約を原作者らと結ぶ。「原作レイプ」と評されるほど酷いアニメ化が行われても、原作者がクレームをつけないのは、この契約があるため。
商標権:キャラクター名などを商標登録し、商品名に勝手に使われることを阻止する。
その他の権利:不正競争防止法は、消費者に著作権者のオリジナルグッズと誤認させるような商品を禁止するのに利用できる。使い方によっては、キャラクターを守る最強の法律。意匠法・民法などもケースバイケースで使える。

 企業が制作する商業アニメは、通常は職務著作と見なされ、監督やアニメーターは著作権および著作者人格権を保有しない。オリジナルアニメの著作権は、制作会社に帰属するのが一般的。ただし、脚本家や声優には、台本や音声に関する限定的な権利がある。

 小説のような具体的な原作がある場合、原作者の権利が認められるが、企画の提案者、ストーリーやデザインの考案者など複数の“作者”がいると、誰が権利を保有するかを決定するのが難しくなる。この問題が浮上したのが、『宇宙戦艦ヤマト』の権利を巡る争い。企画・原案を提出したプロデューサー・西崎義展と、基本ストーリーや各種デザインを担当した漫画家・松本零士の間で裁判となり、地裁では西崎を著作者と認める判決となったが、控訴審中に和解が成立した。和解の内容は、両者ともに著作者だが、筆頭著作者は西崎だというもの(著作権者とは異なる)。リメイク作品である『宇宙戦艦ヤマト2199』では、原作者として西崎のみがクレジットされた。


○監督降ろしの背景

 このように、キャラクターに関わる権利は複雑で法務がややこしいため、専門の法律家を雇わなければ対処しきれない。『けもフレ』に関して言えば、KADOKAWA のような大手は、当然、専門家を擁して万全の体制を整えていただろう。

 一方、同人サークルで自主映画を作ったり、『てさぐれ!部活もの』のようなマイナーアニメの制作に携わったりと、かなり自由な活動を続けてきたたつきは、権利についてあまり深く考えていなかったようだ。

 脚本・監督・デザインなどを一手に引き受けたたつきは、自分がアニメ『けもフレ』の作者だと自認していたろう。しかし、上で述べたように、職務著作であるアニメに対して、監督は著作権を持たない。脚本に関しては著作権が成立するはずだが、放送されたバージョンでは、なぜかシリーズ構成・脚本として別人がクレジットされていた(放送終了後に訂正)。昔は、『ふしぎの海のナディア』など、実際に脚本を執筆した人とクレジットされた人が異なるケースはままあったが、最近では珍しい。

 たつきが権利問題に疎いことを示したのが、『けものフレンズ 第12.1話』とされる「ばすてき」の発表。これは、たつき本人のアカウントでニコニコ動画や Youtube に投稿された短編動画で、内容は放送された本編と直接関わるらしい(私は未見)。どうやら、「営利目的ではない」「本編で使われた映像は使用していない」などKFPの二次創作ガイドラインに沿って制作したので大丈夫と思ったらしいが、本編の制作スタッフ自身が作った作品なので、ファンによる二次創作とは訳が違う。KFPが関連商品を制作したときの売り上げに影響を及ぼす可能性があり、不正競争防止法に(反してはいないものの)かすっている。フレンズをデザインした吉崎観音の同意を取ったという話もあるが、吉崎は著作者であっても著作権者ではない(著作者人格権は持つ)ので、著作権者の許諾を得たとは言えない。

 おそらく、こうした(やや軽率な)行為から「たつきは法的権利の重要性に無自覚だ」と判断され、キャラクタービジネスを展開する上で障害になると考えたKFPが、監督降ろしに踏み切ったのだろう。


○クリエーターの価値

 KFPが見誤ったのは、アニメ『けもフレ』をたつきの作品と見なしていたファンの思い。確かに既存のキャラを借用した作品ではあるが、SFをベースとする世界観や、キャラが放つ意味深い台詞(「おいしいものを食べてこその人生なのです」)は、アニメ独自のものである。

 キャラを借りながらも創作性の高い作品を生み出したのが、誰あろうシェークスピア。英文学に詳しくない人は、ハムレット、マクベス、リア王などのキャラは、シェークスピアが創作したと思っているだろうが、実は、これらのキャラには出典がある。例えば、ハムレットは、デンマークの伝説に登場するアムレートに由来する。王子アムレートは、叔父が父王を殺して地位を簒奪し母を娶ったことに憤激し、復讐を画策する。彼が直面するさまざまな妨害は、シェークスピア作品に描かれた出来事と酷似する。

 しかし、復讐に向かって邁進するアムレートとは対照的に、ハムレットはたびたび逡巡し、そのせいでいらぬ犠牲者を増やしていく。この「逡巡する青年」の姿が戯曲『ハムレット』最大の魅力であり、多くの人にシェークスピアこそ作者だと思わせたのである。シェークスピア自身、この作品を愛していたようで、息子をハムネットと名付けた。どこか、たつきと『けもフレ』の関係を思わせる。

 KFPの面々は、アニメ『けもフレ』をろくに見ていなかったのだろう(あるいは、第1話Aパートしか見なかったのかもしれない。この部分は作画の質がきわめて低く、予算の都合でパイロット版を流用したのではないかと推測される)。アニメがヒットしたのは、かわいいアニマルガールが楽しく冒険するさまがウケたからであり、実質的な下請けに過ぎない制作会社を変更してもかまわない−−そんな風に思ったのではないか。

 多くのアニメ制作者は、『けもフレ』の魅力が、たつきという才能あるクリエーターによるものだとわかっていたはずだ。おそらく、KFPはいろいろな制作会社に第2期の制作を打診し、当然のごとく断られ続けたのだろう。人気が継続している間に第2期を作ろうと焦るあまり、ショートアニメやCM映像くらいしか経験のない制作会社トマソンに、4ヶ月程度の短い準備期間で『けもフレ2』を作らせ、大顰蹙を買う結果になってしまった。



 今や、日本アニメは、岐路に立たされている。質を顧みずにビジネスを優先させ、短期的な利益と引き換えに、アタリショック(*)のような産業崩壊を招くか、厳しい制作環境に耐えて質を確保し、文化としてのアニメを育てるか−−という選択である。『けもフレ2』騒動は、どちらの道を選ぶべきか考える上で、大きな教訓を与えてくれる。

(*)アタリショック:アメリカでは、1980年代初頭に家庭用ビデオゲームの人気が沸騰、ろくにノウハウのない異業種企業がゲーム作りに参入した結果、1本数十ドルの価格に全く見合わない「クソゲー」が氾濫し、消費者の間でゲーム離れが起きた。82年に約32億ドルあった売り上げが、85年には1億ドルに激減したという(Wikipediaより)。その結果、最大手のアタリをはじめ、多くのゲームメーカーが身売り・倒産の憂き目を見た。これをアタリショックという。ちなみに、任天堂は、アタリショック後の85年に、ゲーム機ではなく家庭用コンピュータ(family computer)という触れ込みでアメリカ市場に参入、遅れてやってきた外国企業であるにもかかわらず成功を収めた。

(2019年05月11日)