短評

長文のレビューを書くのが億劫な作品に対する短評を集めています。あまり読む価値がなさそうなので、「年表」からリンクするだけにとどめました。

正式なレビューとは逆に、新しいレビューほど上になっています。

【短評】死神坊ちゃんと黒メイド

【評価:☆☆☆】
 魔女の呪いによって触れるものすべてを死に至らせる“死神”となり、森の館でメイド・執事と3人だけのひっそりとした暮らしを送る貴族の少年。なぜか黒服をまとった年若いメイドは、呪いなど気にしないかのように接し、Hなジョークで少年を困らせる。触れるものすべてが黄金になることを望んだミダス王の伝説を連想させるストーリーで、動きの少ない紙芝居のような作画が、寓話風の物語にはまり見ていて心地よい。演出によってはコミカルにもエロチックにもできる設定なのに、少年をいかにも純情な性格に描いた結果、意外にも真摯な恋物語としての味わいがにじみ出た。愛すべき佳作である。
 3シーズンにわたって展開され、第2期と第3期冒頭ではややテンションが落ちるものの、祖父母の亡霊が登場する辺りから盛り返し、感動的な大団円に至る。

【短評】ささやくように恋を唄う

【評価:☆☆☆】
 制作トラブルなのか、第10話で中断し後が続かないようだが、はじめの何話かだけで充分に面白いので是非見てほしい。女子高生同士の恋ごころを扱った佳作である。
 原作マンガ(一部だけ試し読み)は、感情表現がストレートすぎて(おまけに依先輩のスカートが短すぎて)私好みではないものの、アニメになると、適度に抑制された演出が気に入った。「好き」という感情が、恋愛なのか趣味に合うだけなのか、高校生くらいだとはっきり区別できないのがふつうなのに、無理矢理どちらかに決めつけようとする女子高生たちの心の動きが、見ていてもどかしくも愛おしい。この世代でしか得られない感情だろう。

【短評】夜のクラゲは泳げない

【評価:☆☆☆】
 自分のやりたいことが周囲との摩擦を生み出し、ヒリヒリした痛みを心に抱きながらも、原因の一端が自分にあることを自覚して、逃避以外の解決策をなかなか思いつけない。そんな生きづらさに苦しむ少女たちが、ミュージックビデオ風の動画を発表の場とするバンドJELEEを結成し、何かを掴もうとする。
 決して順調ではない。対立や行き違いが繰り返され、ラストも手放しで喜んで良いものなのか。それでも、何らかの手応えがあり一歩踏み出せたはずだと感じさせる。ミリ単位の成長物語である。

【短評】魔女と野獣

【評価:☆☆☆】
 ひねりのないタイトルで随分損をしているが、なかなか見応えのある本格的ダークファンタジー。キャラを善悪に二分できるような単純な設定ではなく、誰が魔女かもよくわからないままストーリーが進行する。その状況をサスペンスとして楽しめる度量が見る側にないと、置いてけぼりにされるだろう。
 舞台となるのは、近代ヨーロッパ風の街並みなのに魔術が実在する世界(異なる時代が入り混じっている)。そこに、魔女を憎む謎の少女ギドと、なぜか棺を背負った魔術師アシャフが現れる。原作漫画は、アクションシーンがやけに派手で状況説明が少ない。どうやら、作者は簡単な設定を施しただけで、ストーリー展開をあまり練り上げないまま執筆を開始したようだが、その“緩さ”が逆にアニメを面白くした。登場人物が固定されないせいでミステリアスな味わいが加わった「魔女の戯れ」と「美と死」は、特に私好みだ。4話にわたる「魔女と魔剣」は、最弱と言われる魔女ヘルガの人物像が興味深い。
 ただし、アニメ最終回は、話の展開に詰まった作者が無理に新しい設定を導入したように思え、先があまり期待できない。

【短評】ゆびさきと恋々

【評価:☆☆】
 聴覚障害者を取り上げた映像作品は、映画(『コーダ あいのうた』)やドラマ(『silent』)など数多く制作されてきた。アニメにも、『聲の形』『GANGSTA.』といった秀作がある。映像を使えば、手話を印象的に表現したり、現実の音と内的独白を対位法的に組み合わせたりと、いろいろ工夫ができるからだろう。本アニメでも、こうした工夫が多少は取り入れられている。ただし、聴覚障害の問題を正面から扱うのではなく、あくまで恋愛ドラマの背景としての扱いであり、水割りの牛乳を飲まされているようで物足りない。
 NHKは障害者番組を積極的に制作しているが、その中で、聴覚障害者の日常生活は結構うるさい(自身が立てる音に気づかないので)とか、背後から声を掛けられても反応できず不利になる---などの問題をさりげなく描いてきた。そんなちょっとした困難がストーリーに絡んでくると、見る側もさまざまな気づきを得られるだろう。しかし、『ゆびさきと恋々』の世界では、心優しい人々が先回りしトラブルを回避してくれる。安心して見ていられるものの、見終わった後で心に何も残らない憾みがある。

【短評】勇気爆発バーンブレイバーン

【評価:☆☆☆】
 これはギャグか?パロディか? いや、マジなQ(クィア)アニメだ。マジなのだから苦笑は不謹慎、爆笑してあげよう。

【短評】鴨乃橋ロンの禁断推理

【評価:☆】
 近年、ミステリ風に味付けしたアニメが多く作られているが、ミステリ愛好家が楽しめる水準のものは、ほとんど見当たらない(『PSYCHO-PASSサイコパス』は別格)。本作はその典型。トリックの大部分は、素朴な上に実行不能だ。釣り糸で引っ張って何かをする仕掛けは、100年前のミステリ黎明期に考案され尽くしており、今さら取り上げるのはいい加減止めてほしい。作中の“名推理”も突っ込みどころがありすぎて、笑ってしまう。瞳孔散大だけで死亡と判断するのは、本物の警官ではあり得ないずさんな態度で、見ながら「この警官が共犯なのだろう」と推理してしまった。

【短評】Helck

【評価:☆☆】
 途中までは軽いノリの異世界コメディだったのに、後半になると、人間の罪業を糾弾する重苦しい内容となる。こうした変転の予兆が伏線として前半に描かれていれば、それなりに評価できる作品となったろう。しかし、前半と後半の落差があまりに大きすぎて、登場キャラの内面を統一的に把握するのが困難になる。監督の佐藤竜雄は、以前にも、『機動戦艦ナデシコ』という、シリアスでおバカなハードSFラブコメを作っているが、この『Helck』は、それに輪を掛けて分裂症的なアニメである。
 このようなケースは、子供向き作品でしばしば見られる。大人ならば、あのキャラがなぜここでギャグを口にしたのかと考え、その心情を推測する。しかし、子供は、ギャグがあれば笑い愁嘆場では泣くというように、内面の一貫性を理解しないまま、その場の感情に身を任せがちである。アニメでは、子供向けの作劇法が浸透しており、正負両方に感情を揺さぶるエピソードが脈絡なく並べられることが少なくないが、もう少しシリーズ構成を工夫しないと、文学好きの大人をファンにすることは難しいだろう。

【短評】アンダーニンジャ

【評価:☆☆☆】
 現代日本でも政治権力の手先として忍者が暗躍しているという設定でありながら、妙に卑近で些事にこだわったシーンの連続。主人公のニンジャが風采の上がらないニートだったり、光学迷彩が中途半端で上半身だけ透明化したり。最新鋭のロボット兵器が段ボールを積み重ねたポンコツ風の外見だったときには、「マジか!」と突っ込んでしまった。
 しかし、ギャグには走らない。部分にだけ注目すると笑いを誘っていると勘違いしそうだが、笑うつもりで見ていると、いきなり吐き気がするほどの残虐シーンに突入する。予想が次々にはぐらかされるオフビートな展開で、内容を理解しようとすればするほど思考停止に陥る。この奇怪な味わいに対する感受性を持っていれば、高い評価が与えられるだろう(私は「面白い……かも」という微妙な感想)。

【短評】GANGSTA.

【評価:☆☆☆】
 前半はハードボイルドタッチのギャングものとして抜群に面白いが、後半になると失速。散漫な話が続いた後、ストーリー半ばで中絶するように終わる。原作漫画は続いていたものの、本アニメ放送後、制作元のマングローブが倒産したため、続編は期待できない(倒産の原因は、おそらく、売れそうもないのに質にこだわりすぎたせい)。
 監督は、寡作ながら『Witch Hunter ROBIN』『Ergo Proxy』などの傑作をものした村瀬修功。薬物で人間兵器に改造され戦後は負の遺産として差別される、超人的な身体能力の持ち主・トワイライツたちの非情な日々を、リアルに、しかし人間的な共感を滲ませながら描き出す。
 ただし、背景となる状況設定がきちんとなされながら、人間関係が構造化されていない。例えば、主役となる3人の男女は、ほとんど根無し草的な存在で、なぜ危険な仕事を進んで請け負うのか、動機が判然としない。物語を進行させるエンジンが欠落しているので、途中から、無理に新キャラを投入してはエピソードをでっち上げるだけの内容となる。原作を読んでいないので断定はできないものの、周辺キャラの人物像をじっくり描くことで、第6話までの内容を1クールに引き延ばした方が、(売れるかどうかはともかく)より優れた作品になったろう。

【短評】クロスアンジュ

【評価:☆☆】
 SF小説に対して使われる「ワイドスクリーン・バロック」という評言がぴったりの怪作。SF的ガジェットをてんこ盛りにした、軽薄で悪趣味で猥雑な作品を指す言葉だが、ここまでやってくれると、笑いながら拍手したくなる。
 変形ロボットに万能潜水艦、パラレルワールド、超科学とディストピア、生粋のドラゴンと人間もどきのドラゴン族など、さまざまなSF・ファンタジーの要素に加えて、往年の女囚ものを思わせるいじめやレズビアンの描写から、異国的な貴族趣味、これでもかというヌードシーン、さらには手垢の付いた定番ギャグまで、あらゆる娯楽要素を無定見にブチ込んでいる。シーン毎に画面に突っ込むのが、正しい鑑賞法だろう。

【短評】青のオーケストラ

【評価:☆☆☆】
 クラシック音楽をフィーチャーした作品だが、音のない原作漫画ほどにも音楽の魅力が表現されていない。通常の学園アニメを、ポピュラー名曲の演奏シーンで粉飾しただけに見える。優れた演奏は、映画『戦場のピアニスト』や『シャイン』で描かれたように、魂を揺さぶり人生を変える力を持つのに。
 CGを用いた作画は、これじゃバイオリンは弾けないだろうと突っ込みたくなるほど、しなやかさに欠ける。肩や首の動きは、本来、もう少し自由度が大きい。高畑勲『セロ弾きのゴーシュ』などの手描きアニメを見習ってほしい。
 内容的には、第1/第2バイオリンの違いを細かく説明するなど、クラシック音楽をほとんど聴かない初心者を念頭に置いた作品と言えそう。ただし、「新世界より」で2つのパートを別々に演奏してみせるシーンはクラシックファンにも興味深く、星を1つ追加した。

【短評】アンデッドガール・マーダーファルス

【評価:☆☆】
 さまざまな妖怪たちが闘うアクションアニメのはずなのに、主役の半妖がふざけすぎで、バトルシーンはまるでじゃれ合っているよう。シリアスなエピソードでも真剣さが欠けてのめり込めず、かと言って、ファルス(笑劇)と呼べるほどには笑えない。何とも中途半端な出来。
 特に、アルセーヌ・ルパンが登場するエピソード(第5〜8話)は、キャラが多すぎてまとまりに欠け、ひどく退屈だ。前後の吸血鬼と人狼の話は、ミステリ風味が加わってそれほど悪くないので、脚本家は原作のラノベを脚色する際、1クールアニメ用にシリーズ構成を練り直すべきだったろう。

【短評】AIの遺電子

【評価:☆】
 ブームに乗ってAIを登場させる作品が増えているが、作者がAIの仕組みを理解できていないのが見え見えのケースが多い。本作の場合、AI絡みの倫理などを取り上げているにもかかわらず、技術的観点からは的外れとしか言えない内容になっている。
 同じくAIの倫理に目を向けながら、カズオ・イシグロの『クララとお日さま』が文学史上に残る傑作になった理由は、AIを「信頼できない語り手」として設定したことにある。クララの語りが人間の常識からずれていることを浮き彫りにし、技術を超えて人間と世界の本質に読者の目を向けさせた。キャラがAIであることの意味を熟慮し、その上でドラマを構成しなければ、どんなに金を掛けて制作しても無駄になるだけだろう。

【短評】マイホームヒーロー

【評価:☆☆】
 平凡なサラリーマンが家庭を守るために、犯罪という非常手段を選ぶ物語。
 この手の作品で評価のカギとなるのが、主人公にどこまで親しみを覚えられるかだろう。ところが、本作の主人公は、話が進むにつれて平凡な外貌をかなぐり捨て、めったにない非凡なスキルの持ち主であることを明らかにする。おそらく原作漫画(未読)で、各回の最終ページに「主人公が絶体絶命のピンチに陥る」という状況を盛り込みすぎた結果だろう。このやり方は、読者の関心をつなぎ止めるためにしばしば使われる便法だが、度を超すとリアリティが失われてしまう。
 こうして「平凡さ」が生み出す親近感が薄れ、派手ではあるが他人事にしか見えない、単なる犯罪モノにとどまることになった。

【短評】君は放課後インソムニア

【評価:☆☆☆】
 発端こそ、不眠症(インソムニア)の高校生二人が使われていない天文台で出会うというひねった設定だが、それ以降は、何とも素直な部活アニメ。あまり深入りしない人間関係が心地よく、重大な事件がほとんど起きないのに、つい見入ってしまう。やたらかまびすしいアニメが少なくない昨今、こうした作品は貴重かもしれない。

【短評】はたらく魔王さま!

【評価:☆☆☆】
 「取り柄のない主人公が異世界に転生すると無双のヒーローになる」という異世界転生ものの逆を行って、「強大な魔王が現実世界に転生すると平凡な市民になる」物語。斬新なプロットで引きつける作品であり、この設定に基づいて紡がれたエピソードはかなり面白い。
 ただし、それだけでは話がもたないようで、有名キャラが異世界から次々とやってきては、ひとしきり(ありきたりの)アクションを繰り広げるシーンが挿入される。こうしたぬるいシーンを最小限に抑え、逆転生にまつわる緊密なコメディとして構成されていれば、もう少し高く評価できる秀作になったのだが。

【短評】REVENGER

【評価:☆☆☆】
 復讐代行を請け負う「利便事屋」が、アヘンで人心を堕落させる謀略の闇を暴き出す。最近では珍しい骨太の構想に基づく作品で、原案・シリーズ構成を担当した虚淵玄の力業が堪能できる。
 主人公は、奸計に欺かれて許嫁の父親を殺めてしまった元薩摩藩士・雷蔵。許嫁が復讐代行を依頼したことから利便事屋との関わりを持ち、紆余曲折を経て組織に加わる。そこは、対照的な表と裏の顔を持つ殺し屋たちの集まりだった…
 私が好きなのは、利便事屋をバックアップするのが、朽ちた礼拝堂にいる司祭らしき人物であるところ。愛と平和を説くキリスト教が日本では邪教とされたように、いつしか正と邪が反転する。利便事屋のリーダーも背にマリア像の刺青を入れており、復讐を成し遂げた暁には肩脱ぎとなって、「いと慈悲深きサンタマリアの御前に、その罪その咎、悔い改めよ」と嘯く。この目眩く状況に酔える人ならば、アニメの世界を存分に楽しめるだろう。

【短評】チェンソーマン

【評価:☆☆☆】
 アメコミもどきの独善的ヒーローだったら第1話で切ろうと思って(原作未読のまま)見始めたのだが、実際には胸のすくほど徹底したアンチヒーローもの。「善は悪に歯が立たない。悪を倒せるのは悪(かアホ)だけ」という世界観が小気味好い。
 舞台となるのは、悪魔と呼ばれるモンスターに蹂躙され荒廃したパラレルワールド。悪魔の力を借りて超人的な能力を身につけたデビルハンターたちが、敵対する悪魔相手に残虐無比の闘いを(多くの一般人を巻き込みながら)日々繰り広げている。
 「チェンソーの悪魔」を身に宿す主人公デンジは、「悪い奴は好きだぜ〜。ぶっ殺しても、誰も文句言わねーからな」とほざく悪党だが、良からぬ欲望ゆえに公安所属のデビルハンターとなる。圧倒的に強いわけではなく、勝ったり負けたりしながら、なぜか死なずに闘い続けるのが笑える(一応、理由付けはされる)。
 血しぶき飛び散るおどろおどろしい殺戮シーンや、口にするのも憚られるグロい(と言うかゲロい)場面があるので、気の弱い人には勧められない。私は、共感できるキャラの流血には耐えられないが、本作の場合、殺されても仕方のない(敵や味方の)悪党どもがグチャグチャになるだけなので、結構平気で見ていた。

【短評】後宮の烏

【評価:☆☆☆】
 古代中国風の後宮を舞台に、決して夜伽をしない烏妃(うひ)・寿雪(じゅせつ)と、廃太子を経て皇帝となった高峻(こうしゅん)が、さまざまな愛別離苦を目にする。寿雪は、この世にとどまる魂を呼び出す能力があり、それを使って死の真相を探り出すのだが、たいがいは悲しい物語があぶり出される。
 …といったストーリーは、なかなかに面白い。アニメ視聴後、原作の一部を試し読みしてみたところ、ライトノベルにしてはプロットがしっかりしている。それ故に、筋をたどるだけで、そこそこ見られるアニメを制作できたようだ。
 残念ながら、作画は平凡で取り立てて印象的なシーンがない。一応、中国風の建物や調度を描いているものの、おそらく有り物を写しただけなのだろう、「このキャラなら、部屋のしつらえや服装・化粧はこうであるはずだ」といった工夫がない。人物は棒立ち、幽鬼に至っては、悲哀もおぞましさも表現できていない。寿雪の菓子好きも、幼い頃に貧しく美味しいものが食べられなかったという背景が窺えず、単にがっついているだけのように見える。
 原作では言語の観念性を利用してキャラの内面を語るが、アニメ化する場合は、もう少し具体的な情感を喚起できる視覚的表現を心がけるべきだろう。

【短評】よふかしのうた

【評価:☆☆☆】
 優等生なのに不登校になった中学生のコウは、眠れないままに夜の街をさまよい歩くうち、吸血鬼の美少女・ナズナと出会う。社会のしがらみに束縛されない吸血鬼の生き方に憧れ、ナズナに血を吸わせ眷属になることを願うが…。前向きな引きこもり少年と、奔放なのに照れ屋の吸血鬼少女---絶妙な取り合わせによって、生きることそのものの豊かさが浮かび上がってくる。吸血鬼アニメの快作である。
 特に、泣くほど嫌な仕事でも上司からの呼び出しには常に応じる女性のエピソード(第6話Aパート)は、感動的だ。それ以外は、出来不出来の差があるものの、メイド喫茶で働く女性を取り上げた第10話は、なかなかの佳編。
 夜の街の住人は、皆どこかエキセントリックで、それがかえって人間の本質を感じさせる。彼らが闇の奥に息づく静かな街には、昼間には味わえない独特の情感が漂っており、そうした雰囲気を巧みに描き出した作画は、味わい深い。
 OPとEDも出色だが、特に、Creepy Nutsによる「よふかしのうた」(ニッポン放送「オードリーのオールナイトニッポン」のために作られた楽曲)とナズナの動きが見事にシンクロしたEDアニメは、何度見ても面白い。

【短評】リコリス・リコイル

【評価:☆】
 テロ対策の実働部隊が全員女子高生姿の美少女だったり、主要キャラがいきなり和風カフェで働き始めたり、終盤でなぜかお涙頂戴の難病ものになったり…もはや突っ込む暇もないほどコテコテの「あざとアニメ」。過去作で人気を博した要素をつぎはぎしただけなので、ストーリーは辻褄が合わずキャラの性格も一貫性が欠ける。これがギャグなら笑い飛ばせば済む話だが、作中では何人も死ぬ深刻な事件が起きているので、大っぴらに笑うのはさすがに不謹慎。どんな顔をして見れば良いのか、戸惑ってしまう。
 ヒロインの千束は「殺さない」ことをモットーにしているが、テロの根源を絶たなければいつまでも人殺しが止まらない状況なのだから、自分が対峙する相手だけを生かしてやっても、ただの自己満足にすぎない。登場人物の内面を深読みしようとすればするほど、頭が空っぽの木偶人形に見えてくる。
 対照的な性格の主人公コンビ(ショートの金髪とロングの黒髪)は、真下耕一の名作『MADLAX』を彷彿とする(ただし、ショートとロングが逆)。人間離れした射撃の腕前を持つ、記憶があやふやで出自が謎めく---など共通点も多い。しかし、『MADLAX』が陶酔感をもたらすシーンの連続だったのに対して、本作は苦笑をもたらすシーンの連続。宴会のBGVに使えば、みんなで突っ込んで大盛り上がりできるだろうが。

【短評】錆喰いビスコ

【評価:☆☆☆】
 文明崩壊後の荒廃した世界が舞台。陸地には砂漠が広がり、人を蝕む錆び風が吹きすさぶ。アニメの前半では、滅亡に向かいつつある人類の最後の足掻きと、砂漠に蠢く巨大な蟹や「キノコ守り」が播種する異様なキノコの生態が描き出され、なかなかに面白い。
 残念ながら、後半になると悪役を一人の人間に押しつけ、対立軸を単純化したバトルばかりになるため、酷くつまらない。特に、巨大兵器・テツジンの造形はオリジナリティが決定的に不足している。
 前半の貯金でかろうじて星3つは付けられるが、後半5話はない方が良いだろう。

【短評】ハコヅメ

【評価:☆】
 アニメを見始めてすぐ、これは原作漫画の方が面白いだろうなと感じたが、実際、視聴後に第1巻の何話かを読んだところ、圧倒的な面白さで引き込まれた。おそらく、実写ドラマの評判が良かったので急遽アニメ化したのだろうが、どう見ても原作の劣化コピーでしかない。
 漫画とアニメでは、時間の叙述が根本的に異なる。1つのコマに異質の情景を対位法的に描く漫画特有のテクニックが使えないため、漫画をアニメ化する際には、映像の流れに沿って対立要素の衝突・融和を表現することが必要になる。だが、『ハコヅメ』では、それができていない。例えば、アニメ第4話Aパート「拝啓お犬様」で、山狩りの最中「ノドがカラカラでおしっこしたい」と泣き言を言い出した女性警官に、同僚男性が優しく飲料水のボトルを差し出しながら「心おきなく小便出して…」と言うシーン。漫画では、背後から登ってきた警官の姿を同じコマに描き込むことで爆笑を誘うが、アニメになると、手前からふつうに登場するため笑う機会を失する。素早いパンで切り返しの効果を生むといった工夫がなされていない。
 技術的な理由で効果が上げられない場合、原作にないシーンを追加してアニメならではの盛り上げを演出する方法もあったはず。『のだめカンタービレ』の演奏シーン、『ヒカルの碁』の盤面描写などが好例で、『ハコヅメ』ならば、現場に取材して交番勤務の実情をよりリアルに表現することが考えられる。しかし、時間や予算がなかったせいか、漫画の描写をそのままなぞっただけのシーンばかり。いかにも手抜きである。

【短評】月とライカと吸血姫

【評価:☆☆】
 1960年代にソ連とアメリカの間で繰り広げられた宇宙開発競争の史実をベースに、共和国連邦(ソ連がモデル)が有人飛行の安全性チェックのため、吸血鬼少女を開発段階のロケットに搭乗させる物語が展開される。吸血鬼と言ってもファンタジーの要素はほとんどなく、あくまで人々に嫌悪される「呪われた種族」として扱われており、多民族国家にしばしば見られる被差別少数民族のアレゴリーと考えてかまわないだろう。この設定を潜めながら登場人物の心情を深く掘り下げていれば、優れた作品になったはずである。しかし、アニメでは表面的な人間描写に終始して、根底にある社会問題に迫ることはない。
 ヒロインの吸血姫・イリナは、自分が宇宙空間に到達する最初の「人間」だという矜持を持つことで、実験動物としての扱いに耐え抜いた。こうした彼女の思いを視覚的に表現するためには、人間の狭小な差別意識など問題にならない、宇宙の圧倒的な巨大さを視聴者に印象づけるのが効果的だろう。だが、アニメで描かれたのは、ありきたりで平板な光景でしかなく、映像からイリナの思いは伝わってこない。
 ロケット開発の重責を担うチーフのコローヴィンは、実在したソ連の天才技術者・コロリョフをモデルとしている。国のトップから無理難題を押しつけられる姿は、国家機密としてその存在自体が長く秘匿され、ソ連崩壊後にようやく明かされたコロリョフの実像と重なる。ただし、史実の方がアニメより遙かに峻烈なので、興味のある人は、関連文献を繙いていただきたい。
 取って付けたようなラストが原作通りかはチェックしていないが、何とも興ざめな幕切れである。

【短評】見える子ちゃん

【評価:☆☆☆】
 「特殊な才能のある一部の人にだけ怪異が見える」とは、『夏目友人帳』など多くのサブカル作品で採用される定番の設定。本作では、あやかしの姿が異様におどろおどろしく、これを目にしたヒロイン・みこは、障りを避けるべく見えていない振りをしてやり過ごそうとする。おそらく、不気味なあやかしと何気なく振る舞うヒロインの対比で笑わせるホラーコメディとして構想した作品(原作は漫画)だろう。しかし、これだけでは面白みに乏しく、すぐにネタ切れになってしまう。冒頭2話を見た時点でそう判断した私は、いったん視聴を打ち切った。
 ところが、放送終了後に全話を通して見たところ、中盤から急激に面白くなっていたことに驚いた。おそらく、ネタ切れで話が続かなくなった作者が、設定を一ひねりしたことで、好結果が生じたのだろう。恐ろしげな姿をしたあやかしの中にも、凶悪ではなく人間に協力的なものがいる---このように設定を改めると、ヒロインは単にやり過ごすだけでなく、状況判断に基づいて行動を選択しなければならず、そこからドラマが生まれる。認知症の老婆(第5話Bパート)や猫の死霊に取り憑かれた教師(第10-11話)を取り上げた好エピソードは、ひねりの賜物だろう。
 中でも私が好きなのが、パワースポットに降臨した稲荷神(第6話Bパート)で、巫女姿の小稲荷は、おぞましくて愛らしい不思議なキャラ。
 みこの描写も味がある。何も感じていないような無表情の顔立ちと、心底怖れている震え声のモノローグが、絶妙なバランスで楽しめる。予想外の佳作と言える(ところで、第8話の弟くんは、お姉さんの下着について何を誤解したのだろう?)。

【短評】かげきしょうじょ!!

【評価:☆☆☆】
 シリーズ構成と演出にやや難があり、傑出した作品とは言いがたいが、終盤の盛り上がりが素晴らしいので、三つ星評価とした。
 物語は、宝塚を思わせる若い女性だけのミュージカル劇団・紅華歌劇団の団員育成を目的とする音楽学校が舞台となる。過去のトラウマのせいで人気アイドルグループを脱退することになった奈良田愛と、歌舞伎の助六に憧れながら女性であるが故に道を閉ざされた渡辺さらさを中心とする多彩な生徒たちの群像劇であり、彼女らがミュージカル俳優として、また人間として、どのように成長していくかを見つめる王道的なビルドゥングスロマンである。
 残念ながら、十数巻にわたる原作漫画(未読)を1クールアニメに編成し直す際のシリーズ構成が練り上げ不足で、今ひとつ作品に入り込みにくい。はじめの4話は、愛とさらさの過去の因縁に絡む出来事を描いており、この二人の人間関係を深掘りするのかと思っていると、急にコミカルな展開となって肩すかしを食らう。第5話後半から別の生徒(山田彩子)の話に転換、劣等感から過剰なダイエットを始めるという深刻な問題を取り上げたにもかかわらず、同じ回のラストでやけにあっさりと解決してしまう。その後もブツ切りのエピソードが繰り返され、キャラへの共感がなかなか深まらない。集団の成長物語では、まず学園の日常をじっくり描くことで人物設定を明確にし、その後で過去の因縁に遡ってキャラクターを掘り下げていくのが効果的だろう。
 演出も平板である。第10話の運動会でさらさが転倒したシーンなど、目を剥くマンガ的演出に逃げてほしくなかった。さらさが教室でティボルトを演じたとき、最初(第6話)が過去公演のコピー、2度目(第13話)になってようやく独自性を発揮するのだが、その差異が的確に描出されない。ここが一番の見せ場なのだから、視線誘導などについて教員に言葉で解説させるのではなく、オーバーラップやパンなどアニメならではの演出テクニックで魅せてほしかった。
 もっとも、同じオーディションでの山田彩子の描き方はうまい。インサートされる回想シーンで、女友達が「やっぱ彩、かわいい。わたしも一生友達でいたい」と笑いながら涙を流す場面は感動的である。最終3話は、最近のテレビアニメでは上位にランクされる出来と言ってよい。

【短評】Vivy-Fluorite Eye's Song-

【評価:☆】
 私が一般的な評価よりもかなり低い点を付けるのは、主に「あざとい」作品である。視聴者はこんな描写を喜ぶだろうと先読みして制作する---そうしたやり方では、一時的な人気は得られても、何年か経つと見向きもされなくなる。
 物語の発端は、「100年後にAIが人類抹殺を始める」「この惨事の原因を絶つべくエージェントが過去に送り込まれる」という設定。SF愛好家ならいくつもの有名作品を想起する、何ともありきたりな話である。もちろん、だからと言ってダメとは限らない。ありきたりな物語の中で深遠なドラマが繰り広げられるケースも、ままあるからだ。しかし、本作のキーパーソンである二人のAI---未来からのエージェント・マツモトと、彼の指令に基づいて歴史改変を試みる歌姫型AI・ヴィヴィ---の言動は、AIと人間の対立という極限的な状況とかみ合っていない。
 何よりも、AIがなぜ人類を抹殺しようとしたのか、その理由(ダブルバインド?バグ?)が最後まではっきりしない。このため、ある行動が惨事を回避するのに有効だと言われても、信憑性が感じられず、マツモトの言葉を真に受けて素直に任務を遂行するヴィヴィに、共感を覚えることができない。彼女の物語に感動する視聴者がいるとすれば、それは、「努力しているのになかなか報われない」「記憶が何度も失われる」といった境遇に対する上から目線の同情に過ぎない。AIは人間と何が共通しどこが違うかというポイントに無自覚である彼女の姿には、自身が人型AIであることに対する切迫感が欠けている。
 AIを登場させる優れた物語作品からは、いずれもこのポイントについての明確な問題意識が窺える。HAL9000誤作動の背後にあった人間の奸計を短い映像で突きつける『2001: A Space Odyssey』は、その最高峰と言って良い。眉村卓『消滅の光輪』で、もはや万策尽き暴徒から身を守る術がなくなった司政官に対して、補佐ロボットが最後に発する言葉は、人間とAIの関係性を浮き彫りにする。樹なつみ『OZ』に登場する人間を愛してしまったAIは「あなたは私が守ります」と口にするが、この「あなた」が何を指すか悟ったとき、読者は慄然とせざるを得ない。
 こうした傑作群で描かれたAIに比べると、本作のマツモトとヴィヴィは、古典的な感動作に見られるキャラの類型をなぞっただけ。内面描写に裏打ちされたドラマは、ないに等しい。典型的な「あざとアニメ」である。

【短評】ましろのおと

【評価:☆☆☆】
 津軽三味線をフィーチャーしたアニメ。人物描写に深みがなく、プロットには無理があるが、それでも、演奏シーンの圧倒的な迫力に呑まれてしまう。
 主人公は、名人と謳われた祖父の死をきっかけに、単身上京して自分の進むべき道を模索する少年。もっとも、彼が何を望んでいるかは曖昧なまま。飛び入り参加したライブで素晴らしい名演を聴かせたかと思うと、人気三味線奏者を前に急に意欲をなくしたかのような凡庸な演奏をする。やる気スイッチがどこにあるのかわからず、見ていてもどかしい。
 さらに意味不明な言動を見せるのが彼の母親で、他者の意志を平気で踏みにじる傲慢な人物としてカリカチュアライズされながら、しばしば強引にストーリーの方向性を決定してしまう。結局、ドラマのきっかけとなるモチベーションが描かれないまま、話がダラダラと進んでいく。主人公以外は初心者ばかりの津軽三味線愛好会が、大して練習もしていないのにコンクールで好成績を収めたりもする。
 そんな面白くもない話に突如として割り込んでくるのが、津軽三味線の凄まじい音響。強烈なダイナミズム、ロックやポップスとはまるで異なるリズム感、単純なのに心を打つ音階。そこに奏者の姿と心象風景が映像として加わることで、聴覚と視覚双方からの刺激が相乗効果を生み心を揺さぶる。特に、第5話の連弾はすごい。演奏シーンのためだけに、アニメ全12話を見通す価値は充分にある。

【短評】憂国のモリアーティ

【評価:☆☆☆】
 悪の帝王モリアーティは、ミステリー執筆に飽きたコナン・ドイルが、ホームズの最期に相応しい敵役として登場させた急造キャラ。人物像は類型的で設定に無理があるが、そのことが逆にシャーロキアンたちを焚き付けた。「ホームズがわざとモリアーティの人物像を歪曲したのでは」「彼が関与した事件は政治的意図で隠蔽されたのかも」---そんな議論が戦わされ、多くの作品に原作小説とは異なるキャラとして登場する(私は島田荘司の爆笑パロディが好き)。本作も、そうした「モリアーティ異聞」の一つで、『必殺シリーズ』よろしく、法律で裁けない悪徳貴族に天誅を下す姿が描かれる。
 モリアーティとは何者かを語る冒頭の5話は、文句なく面白い。中でも、第4話「希少な種」と第5話「橋の上の踊り子」は、短編ミステリアニメとして傑出した出来である。ホームズのキャラ設定がやや平凡で物語も大味になったため、第6話以降はそれほど関心をそそられなかったものの、 脇役の描写はかなり凝っている。特に、原作ではホームズの賞賛に値する女性とは思えなかったアイリーン・アドラーが、共感できる人物として思い入れたっぷりに描かれる。ただ、マイクロフトはイケメン過ぎるような気もするが…。

【短評】ふしぎ駄菓子屋 銭天堂

【評価:☆☆☆】
 子供向けと勘違いして視聴が遅れたものの、2020年のテレビアニメ全作品中、優にベストテン入りする出来。「面白不気味」とでも形容すべき佳作である。
 ストーリーだけ追っていると、勧善懲悪の教訓臭漂うアニメと錯覚するかもしれない。しかし、画面を通じて表現された内容を読み解けば、そんな生やさしいものでないとわかる。私が特に好きなのが、「ホーンテッドアイス」(第3話)「クッキングツリー」(第5話)「おもてなしティー」(第10話)「ゴブリンチョコエッグ」(第17話)などで、「こんなヤバイ終わり方でいいの?」と(ニヤリとしながら)突っ込んでしまう。
 動きの乏しい紙芝居風の作画だが、決して手抜きではなく、懐かしくて怖い雰囲気を再現するのに最良の絵柄と言うべき。駄菓子の陳列棚を眺めるだけで、得体の知れないリアリティを感じて、絵の中に引き込まれそうになる。
 表面的なストーリー以上のものを読み取れる眼力のある人にオススメだ。

【短評】リズと青い鳥

【評価:☆☆☆☆☆】
 人生のアイロニーを正面切って描き出した傑作。何度も見返して、人生とは何かを考えるきっかけにしてほしい。
 主要登場人物は、吹奏楽部に所属する二人の女子高校生。仲が良いのだが、一方が相手を親友未満にしか見ていないのに、他方は親友以上の思いを抱いている。映画の中盤では、この食い違いが少しずつ拡大していき、遂には予想を超える大団円が訪れる。この大団円は、感動的ではあるが、苦い。「ほろ苦い」などという生やさしいものではない。人の世に条理はあるが無情だということか。
 原作は、同じく京都アニメーションによってTVアニメ化された武田綾乃のラノベ『響け! ユーフォニアム』の一エピソード。ただし、『ユーフォニアム』のスピンオフ作品ではなく、あくまで単独の作品と位置づけされる。雰囲気がTVアニメと全く異なる内容からして、この扱いは正当だろう(と言うより、エリック・ロメールなど往年のフランス映画を思わせる心理劇の映画化を、よく上層部が許したものだ)。
 監督を務めたのは、TVアニメ『けいおん!』で監督デビューし、映画『聲の形』で批評家に絶賛された山田尚子。本作における心理描写の巧みさは、彼女の手腕によるものだろう。『聲の形』が社会問題を前面に押し出したわかりやすい作風だったのに対して、本作の凄さは、二人の少女の心理をきちんと読み解かなければ理解できない。それだけに、万人受けする作品ではないものの、わかる人には生涯の宝となるはずだ。

【短評】体操ザムライ

【評価:☆】
 こんなアニメを作ってはダメだという見本のような作品。
 一度は引退寸前まで追い込まれた体操選手が、全日本選手権で復活を目指すという王道的なストーリー。ただ、東京オリンピックの開催を前提とした便乗企画である点を別にしても、スポーツを見世物扱いする傲慢さが許しがたい。
 3回宙返りの大技で鉄棒の銅メダリストとなったものの、以降は怪我のせいもあってパッとしないのが、主人公の荒垣城太郎。そこで宙返りを4回に増やすという目標を立てるのだが…。まず、宙返り回数を増やすことがどれだけのダメージになるか、アニメスタッフが理解していない。身体各部に加わる衝撃は大幅に増大し、選手生命を短縮するだけでなく、命の危険も伴う。技としても、健康増進というスポーツ本来の目的からはずれ、見た目にも美しくなく、ただのアクロバットでしかない。
 ストーリーの随所に、ご都合主義の影が窺える。肩の怪我を鍼治療で克服することは、現実問題としてあり得ない(神経過敏による疼痛でなければ)。痛みを隠して試合に臨むシーンは、悪しき精神主義そのもの。主人公の頑張りを見て自分の為すべきことを悟る忍者アクターや、父親のせいでいじめられながらも信頼を失わない小学生の娘など、いかにも作り物のキャラでしかない。
 もっとも、第10話の演技シーンだけは素晴らしい。私は、体操の種目では鞍馬が最も好きで、特に男子選手が足を振り上げたときの太ももからつま先まで真っ直ぐに伸びた姿態に見惚れてしまう(ヘンタイって言わないで!)。第10話では、そうした演技の魅力が丁寧に描かれる。これだけの作画ができるのに、つまらない脚本で台無しにされたことが残念である。

【短評】ウィッチブレイド

【評価:☆☆】
 小林靖子の脚本は、母娘の愛情をうまく織り込んだウェルメイドな出来なのに、モンスターのデザインが酷すぎて楽しめない。ストーリーとキャラデザの不調和は、エロと暴力を売り物にしたアメリカン・コミックスの原作を、設定以外はすべて作り替えたというアニメの成立過程に由来する。原作の設定は、魔術としか思えない不可解なテクノロジーによって、人体を究極の兵器・ウィッチブレイドに改造するというもの。なぜか女性は半裸の人型モンスターに、男性は機械のような異形の姿にされる(男性の義体は、ウィッチブレイドの技術を流用したまがい物だとか)。このどうにもバカバカしい設定を、真面目に脚色した小林靖子の無駄な努力に、頭が下がる。
 有能な脚本家が原作に振り回されたという点で、『ガングレイヴ』と並ぶ迷作。

【短評】Gungrave ガングレイヴ

【評価:☆☆】
 仲が良かった二人の男が、ギャングとなって裏切りと復讐の渦に巻き込まれる---というなかなか面白いストーリーに、死者を蘇生させ戦闘員として使役するオカルト紛いの話が接ぎ木される。死者の大半は、思考力がないまま異様な怪力を発揮するただの化け物で、まるで『高慢と偏見とゾンビ』(オースティンの名作小説の随所にゾンビのエピソードを挿入した超絶的パロディ)のギャング版だ。ただし、『高慢と偏見と…』が爆笑できるのに対して、このアニメは、笑うに笑えない。そもそも、血縁と忠義心を重んじるマフィアが、ファミリーの契りを無視して死者を道具のように扱うという展開は、登場人物に心理的な一貫性が感じられず話に無理がある。死者を次々と撃ち殺して面白がるというガンアクション・ゲームを、名脚本家の黒田洋介が無理に一つの物語に仕立て直した結果だろうか。

【短評】GREAT PRETENDER

【評価:☆☆】
 珍しいコンゲーム(信用詐欺)アニメ。ポップアートを思わせる背景は美しく、音楽も画面にマッチしており、これで脚本さえ良ければ楽しめる作品になったはずなのだが…。
 コンゲームものが成功する鍵は、「騙される快感」にある。この快感は、大ドンデン返しでは味わえない。映画で言えば、『スティング』と『Big Deal at Dodge City(テキサスの五人の仲間)』。どちらの視聴者も、「自分は状況を把握している」という優越感に浸りつつ成り行きを楽しんでいると、ラストでひらりとかわされる。「あ、やられた」と笑ってしまうのが、コンゲームものの醍醐味である。
 アニメで言えば、『ダーティペア』第23話「不安だわ…!? うちらの華麗なる報復」(脚本:島田満)が数少ない成功例。麻薬取引で富を築いた男に偽の儲け話を持ちかけ、金を掠め取る算段だったが、途中で仲間が裏切り…と、ここまでは視聴者の予想通りにストーリーが進行しながら、最後に見事な肩すかしで「騙される快感」を味わわせてくれる。
 こうした名作に比べると、本アニメはいかにも味わいが乏しい。原因は、詐欺の計画に根本的な無理があることだろう。
 信用詐欺は(誉めるわけではないが)知的な犯罪であり、偶発的な要因を可能な限り取り除いて、初めて成立する。偶発性が排除されているからこそ、物語の作者は、視聴者の心を自在に操り軽やかに騙せる。ところが、本アニメでは、爆発や銃撃などの制御不能な出来事が起きたり、被害者側に事態を回避するための選択の余地が残されていたりする。ある人物がどう行動するか、状況から見て誰も読み切れないはずなのに、なぜか詐欺師たちが望んだとおりの結果となる。
 実際、作中で実行される4つの詐欺は、各エピソード終了後に冷静に振り返ると、どれも幸運な偶然によってうまくいったにすぎない。整合的な脚本で楽しませるのではなく、端から視聴者を騙してやろうと企み、ラストで話をひっくり返しただけである。楽しがっているのはスタッフばかりで、視聴者は置いてけぼりだ。

【短評】アクダマドライブ

【評価:☆☆☆】
 破滅的な戦禍を経て徹底した管理社会と化した未来の日本を舞台に、常識的な規範から異様に逸脱した怪物的犯罪者・アクダマたちが、世間を混乱の極に陥れる過程を描いたピカレスクロマン。一応、キーパーソンとなる兄妹の救出という“正義っぽい”目標が示されるものの、あまり真に受けない方がいい。
 見所は、サイバーパンクを思わせるド派手でシュールな映像。5人のアクダマの所業は、いずれも超絶的すぎて笑ってしまう。例えば、一見妙齢の美女のような医者は、腹を裂かれても自ら外科手術して治すハイパーテクの持ち主。このテクを悪のために用いたら、何が出来るかと言うと…。
 こんなアクダマたちが暴れ回るのだから無敵かと思いきや、そうでないところに、このアニメの面白さがある。余人の追随を許さない超人的なエイハブですらモビィ・ディックには全く歯が立たなかったように、アクダマたちも、社会そのものという圧倒的な巨悪を前に難渋する。そこに巻き込まれたのが、イシュメイルならぬ「常識を持った一般人」。彼女の凡人らしい発想が、詰んだはずの盤面をひっくり返す。
 アクダマの中で唯一ダークヒーローらしい面影をたたえた運び屋が、何ともカッコイイ(個人的には、処刑課の“師匠”も渋くて好きだが)。

【短評】アオハライド

【評価:☆☆☆】
 主人公の双葉は、中学時代に思いを寄せながら突然の転校で姿を消した洸と、高校に入って再会する。ところが、彼の性格は、昔とは大きく変わっていた…
 アニメ『アオハライド』は、思春期のどうしようもない心の揺らぎを、静かに、しかし暖かく描き出す。ドラマチックに盛り上げることはせず、何度も繰り返される勉強会の描写など、日々のちょっとした出来事をピックアップしたシーンが、見る者に切ないほどのリアリティを感じさせる。
 特筆すべきは、すべての人物に優しく注がれる作者(原作・咲坂伊緒、シリーズ構成・金春智子、監督・吉村愛という女性トリオ)のまなざし。いじめのシーンでは、いじめる側も決して悪意の塊ではなく、同調圧力の中で何とか自分の立ち位置を確保しようと足掻いていることが、言動の端々から浮かび上がる。
 私が特に興味を持ったのが、家族と洸の関係性である。あることが原因となってうまくコミュニケーションがとれないものの、決して互いに嫌ったり無視したりする訳ではない。第12話で、洸が「おかえり」と言い父親が「そうか…ただいま」と返すシーンでは、泣きそうになった(第11話での母親の電話シーンは反則的である。本気で泣いてしまった)。

【短評】超訳百人一首 うた恋い。

【評価:☆☆☆】
 初放送時に見たときには、過剰なまでに技巧的な表現テクニックにややうんざりさせられたが、最近になって再見したところ、こうした技巧をやり過ごして人間関係に注目すると、なかなかよくできたドラマだとわかった。特に、聡明で機知に富みながら、恋愛運のなかった清少納言に心惹かれる。

【短評】バンブーブレード

【評価:☆☆☆】
 部員不足で廃部寸前だった女子剣道部に、少しずつ個性的な部員が集まり、地方大会に出場するまでになる---というと、いかにも部活アニメの王道のようだ。だが、王道を外れてからの方が面白い。
 この逸脱は、アニメのストーリーが連載中の原作マンガ(未読)に追いついてしまい、第19話から倉田英之(脚本)によるオリジナルの展開になった結果として生じた。原作では5人の剣道部員が対等に描かれるらしいが、アニメでは、川添珠姫という、いかにも倉田好みのキャラにスポットライトが当てられ、第19話以降では、オリジナルキャラの鈴木凛とともに完全に主役となる。
 珠姫は、幼少時より剣道一直線の生き方をしてきたため、技量は圧倒的であっても、勝負の駆け引きができない。倉田が愛するのは、『神のみぞ知るセカイ』の汐宮栞や『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の黒猫のように、一つことにのめり込むあまり、人間として欠けたところのある少女。珠姫は、正にそのタイプである。彼女が、より高い境地から剣道のあり方を見つめ直す終盤は、倉田脚本の真髄が味わえる佳編である。

【短評】あさっての方向。

【評価:☆☆☆】
 思春期には、多くの少年・少女が精神と肉体の食い違いに悩み、現実とは異なる自分への変身を空想する。ただし、こうした空想をそのまま映像化すると、自虐的で品のない作品に堕す危険性がある。本作は、同種のアニメの中では、(『ココロコネクト』『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』などよりも)好意的に評価できる佳作である。
 両親と死別した小学生の五百川カラダは、従兄弟の尋に養ってもらうことに負い目を感じており、早く自立することが願い。一方、尋の恋人で変な別れ方をした野上椒子は、過去を精算し別の人生を送れたら…と思っている。この二人が、祠に納められた願い石にそれぞれの思いを伝えたところ、カラダは大人に、椒子は子供に変身してしまう。二人がこの異常事態にどう対処するかが、基本ストーリーとなる。
 このアニメの長所は、やろうと思えばいくらでもできるコミカルな展開やエロチックな描写が抑制され、二人の女性が共に本気で思い悩むところ。大人になれば自立できると信じていたカラダが、社会的には無能者であることを思い知らされる場面は、切々と胸に迫る。
 派手な描写がなく人気は乏しいものの、隠れた名作と言ってよい。

【短評】アルテ

【評価:☆☆】
 16世紀初頭のフィレンツェを舞台に、当時はほぼ皆無だった「女性の画家」であるアルテの頑張りを描くアニメ。ただし、その描き方は類型的で、女性が社会で活躍するためには何をすべきかという点に目を向けることはない。
 当時の画家は今で謂うインテリア・デザイナーであり、教会や王侯貴族の邸宅の内装を手がけていた。漆喰塗りや扉・手すりの制作なども行うため、多くの肉体労働者から構成されるチームとして活動する必要があった。工房が男性ばかりだったのはそのせいであり、必ずしも女性差別という訳ではない。女性が画家として自立するには、女性的な感性を生かした絵画が一個の芸術作品として認められる必要がある。
 ところが、アルテは自分の置かれた立場を深く考えず、仕事にありつくためには男並みの馬鹿力を発揮するばかり。アニメ『二十面相の娘』で、重い荷物を運ぶように命じられた(運べずに盗賊団への加入を諦めると思われた)チコが、横倒しにしたビール瓶を並べてコロ代わりに使ったのと比べると、あまりに能がなさ過ぎる。
 手を描いたアルテの落書きが、別してたおやかで優しいことを示しながら、それをきっかけに話を拡げようとはせず、すぐに別の物語を始めてしまう。実在の名画をいくつも画面に登場させたにもかかわらず、そこに込められた新しい工夫(例えば、マリアを崇拝すべき聖母ではなく愛らしい少女として描いたコレッジオ作品のような)を使って、アルテの進むべき道を暗示することもしない。
 女性芸術家の先駆者として知られる12世紀のヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、知的な戦略によって女子修道院の改革を進め、そこで多くの絵画・音楽・戯曲を制作した。女性が活躍するには、こうした戦略性が必要なのである。その点に目を向けなければ、単なる頑張り屋の話にしかならない。

【短評】WHITE ALBUM

【評価:☆☆☆】
 ねっとりじっとり陰々滅々---そんな男女の姿をこれでもかと見せつける作品だが、私は嫌いではない。
 主人公は、優柔不断で頼りなく、全く魅力を感じさせない男性。なのに、何人もの女性からいっせいに好意を持たれる。この不自然な展開は、原作が18禁アダルトゲームで、由綺という本命がいながら、別の女性に言い寄られてなびく男の話だから。多くのユーザの嗜好に応えるべく、さまざまなタイプの女性を攻略する分岐ルートを用意した恋愛シミュレーションである(らしい、私は未プレイ)。
 ところが、アニメ化するに当たって、こうした個別のルートを一つのストーリーラインに無理にまとめ、多くの女性と同時並行的に恋愛関係になる流れにした。その結果、恋愛のワクワク感はどこへやら、恋することの不自由さ、他者も自分も思い通りにならないもどかしさが前面に押し出され、「ハーレムは(本当に)つらいよ」的なアニメとなった。そこが逆に面白い。
 舞台となるのは、ファッションも音楽も昭和の雰囲気が濃厚に漂う芸能界。携帯電話がなく、公衆電話から連絡を取り合うが、何度もすれ違いが繰り返される。芸能事務所に使い潰されるアイドルや、人権を平然と無視する芸能レポーターの存在が、何とも昭和的。かつて天才と騒がれながら、才能を蕩尽し自壊していく緒方英二の姿に、某有名ミュージシャンの影が重なって見える。
 イラスト風のショットや内的独白を表す文字を挿入するテクニックも、なかなかのもの。次回予告の線画も興味深い。
 水樹奈々が歌うOP曲『深愛』は、いかにも昭和歌謡っぽい作品で、エロゲー由来の曲が紅白で歌われるという快挙を成し遂げた。

【短評】LISTENERS

【評価:☆】
 近年は漫画やゲームのアニメ化に携わることの多かった名脚本家・佐藤大(『カウボーイビバップ』『交響詩篇エウレカセブン』『Ergo Proxy』)が、久々にオリジナルストーリーの長編アニメを担当すると聞いて、かなり期待したのだが、見終わった後、何とも言えないもやもや感に襲われた。元ネタのわからないパロディ、何の寓意か不明なアレゴリー、波瀾万丈の大長編が砕け散った後の断片---そんなものの集積としか思えないのである。
 『インタビュー「LISTENERS リスナーズ」佐藤大(原案・シリーズ構成)- 少年と少女、音楽とロボットが化学反応を起こす物語』(Rooftop 2020.04.30)によると、もともと、じん(ミュージシャン)と橋本太知(プロデューサー)による「音楽とロボットをテーマにしたオリジナルのアニメ」という企画があり、これに、橋本と仕事をしたことのある佐藤大が加わって話を膨らませたようだ。ロードムービー風の中間部(第4話と第7話は面白い)は、佐藤のアイデアによるものらしい。コアスタッフには音楽フリークが多く、みんなでネタを出し合ったとのことで、音楽に詳しくないとついて行けないストーリーは、どうやら確信犯的に練り上げたものらしい。
 私のようなロックに無知なクラシックファンは、門前払いと言うことか。

【短評】かくしごと

【評価:☆☆☆】
 最終回があまりにつまらなかったので星2つにしようかと思ったが、それでは、20年春アニメに3つ星以上の作品が皆無という悲惨なことになるので、大甘評価で星3つにした。

【短評】無責任艦長タイラー

【評価:☆☆☆】
 その昔、植木等演じる全然平均的でないサラリーマン・平均(たいらひとし)を主人公とした映画『ニッポン無責任時代』がヒット、タイトルに「無責任」を冠したシリーズが制作されたが、本アニメの原作『宇宙一の無責任男』は、主人公の名前もジャスティ・ウエキ・タイラーで、映画のオマージュとなるラノベらしい(私は未読だが、映画同様、荒唐無稽なギャグの連続だとか)。もっとも、アニメ化にあたって内容が大幅に変更されたようで、反骨心に溢れた愛すべきキャラが戦争の愚かしさを暴く快作となった。
 軍隊とは上意下達が基本の組織で、命令に反すると軍法会議は必至、銃殺もあり得る。無責任など許されようはずがない。そんな中、一癖も二癖もある愚連隊を集めたオンボロ駆逐艦「そよかぜ」の艦長を押しつけられたタイラーが、無意味な戦闘をいかにして切り抜けるか。一見、奇跡的な幸運に恵まれたようでありながら、その実、人間に対する深い信頼に支えられた毅然たる行動がもたらす結末は、見る者に深い感銘を与えるだろう。
 制作年のせいで、ギャグや作画はやや古臭さを感じさせるものの、何話か見るうちに脳が慣れてくる。第6話「トカゲのしっぽのしっぽ」まで見続ければ、作品の真価がわかるはず。テレビシリーズの他、OVA『ひとりぼっちの戦争』『地上より永遠に』も見応えがある(ただし、リメイク作品『無責任ギャラクシー☆タイラー』はガッカリする出来)。

【短評】ソマリと森の神様

【評価:☆】
 子供を連れた孤独な旅人が各地を転々と放浪する物語は、『家なき子』をはじめ、多くの文学、映画、漫画、アニメで繰り返し描かれた定番中の定番である。よほどのヘマをしなければ、それなりに感動を与えてくれるはず。ところが、『ソマリ』は、見ているだけでムカムカするほどつまらない。「もう少し考えて作ってよ」と言いたくなる。
 原作漫画はごく一部を読んだだけだが、それでもアニメよりかなり上出来とわかる。幼女の表現が的確で、その気持ちを推し量ることができるからだ。しかし、アニメでは、「子供が出てきたらこう描く」という類型に則ってストーリーをなぞるだけで、登場人物の気持ちに寄り添いながらキャラを膨らませるという基本作業を怠っている。現実の幼児は、子供に接した経験のない人が思う以上に論理的であり、会話能力が低いため言葉にできないものの、世界に対する深い洞察を心の内に秘めている。そうした幼児の内面を、時間的広がりを持つ映像の中で描出することが、アニメーターの使命のはず。
 にもかかわらず、主人公のソマリは、こまっしゃくれてきかん気の強いガキにしか見えない。内面性が全く感じ取れないのである。アニメーターたちは、異世界を派手に描くことばかり気にしているようだ。
 妙に押しつけがましいソマリの声も気に障るが、これは、声優(水瀬いのり)ではなく、監督ないし音響監督の責任だろう。自分を守ってくれる唯一の存在が、実はかなり脆弱であることに気がついたとき、子供はどんな声を掛けるのか---その状況をリアルに想像できたならば、こんな声質にはしなかったはずである。

【短評】オーバーロード

【評価:☆☆】
 PCゲームの世界に転生するという、最近やたら目立つ類型的作品の一つ。主人公が異様に強く、どんなバトルでも決して負けないという点も、多くの作品と共通する。初めのうちはどうにも他愛のない内容で、大人が見る価値はない。
 ただし、後になって登場する脇役が面白い。可憐で心優しいのに、なぜか一部の王族から「化け物」と呼ばれるラナー王女(第2期に登場)はその一例。原作はライトノベルだが、ラノベ作家には小説を書き慣れていない若手が多く、優秀な編集者が付いて適切な助言を与えると成長することがある。「キャラが平凡すぎる」とでも言ってあげたのだろうか。

【短評】夏のあらし!

【評価:☆☆☆】
 戦争の悲劇を背景に、幽霊譚とタイムワープもの、そのほか、さまざまなファンタジーやSFの要素をふんだんにちりばめたコメディ。新房昭之(監督)らしい華麗な表現テクニックが楽しめる。OPアニメやCパートの仕掛けも見もの。
 大林宣彦監督『転校生』のパロディ「勝手にしやがれ」(第8話)や、タイムパラドクスSFをひねった「HERO」(第9話)も面白いが、私が好きなのは、「みずいろの雨」(第2期第4話)。いくらテンパったとしても、そこまでミスるかという潤のドジっぷりが可愛い。
 第1期第1話は新房がやり過ぎてスベったので、第2話から見た方がいいだろう。

【短評】黄昏乙女×アムネジア

【評価:☆☆☆】
 設定は本格的なホラーなのに、個々のエピソードはコメディという不思議な作品。軽い笑いにまみれた中に、突如、異様に恐ろしい事件が勃発する。その落差を受け止められるだけの耐性があれば、それなりに楽しめるだろう。

【短評】ドロヘドロ

【評価:☆☆☆】
 なんで、こんなにドロドロでグチャグチャでムニュムニュな作品が、これほど面白いんだろう? 魔法が使える異世界なのに、なぜ馴染み深く懐かしいの? 見ながら頭の中がクエスチョンマークで一杯になってしまうが、おそらく、超常的で下世話、卑近でファンタスティックな作品世界が、そう感じさせるのだろう。寂れた工場や薄汚い大衆食堂が並ぶ裏町を魔法使いが獲物を求めて彷徨い、最高の食材を盛り付けてグリルで焼くと香ばしい人造人間ができあがる。おぞましすぎて笑ってしまい、恐怖が極まって楽しくなる。
 雑多に入り交じるエピソードには、食べ物とトイレに関わるものが多い。レストランのトイレは“炎洗式”で、用を足すと地獄から炎が吹き上がって汚物を焼き尽くすとか。コワッ! 体が溶け巨大なパイに変えられた男は、魔法を解除すれば元に戻れたかもしれないのに、むしゃぶりついた腹ぺこ少女が腹を下しておじゃんに。
 全話を2〜3回ずつ見たが、ストーリーはよくわからない。記憶を失ったトカゲ頭の主人公カイマンが、友人の筋肉美少女ニカイドウと自分の素性を探る話がメインで、そこに、あらゆるものをキノコに変える(後で料理に使う)魔法使いのエンや、仲間の殺し屋コンビ・シン(覆面を脱ぐと、あっ、イイ男)とノイの物語が絡む。ほんの少しのミステリ風味はあるものの、基本的に筋はあってなきがごとし。特異な設定を楽しむ作品と心得るべし。

【短評】歌舞伎町シャーロック

【評価:☆☆☆】
 主要登場人物の名前をコナン・ドイルの“聖典”から拝借しており、作中で起きる事件のトリックにも共通項が見られるものの、パロディやパスティッシュ、パクリの類いではなく(もちろんオマージュでもなく)、ドイルの小説とは似ても似つかぬ奇天烈な人間ドラマ。近年、「ちょこっと謎めかした」ライトミステリが人気を呼んでいることから、すでに著作権の切れたホームズ物を利用して、歌舞伎町を舞台とするコミカルなミステリアニメを企画したと推測されるが、シリーズ構成・脚本の岸本卓が本気を出しすぎたのか、後半はかなり重苦しい展開になる。
 働き者できれい好きなハドソン夫人がバーを経営するひげ面のオネエに、老獪な犯罪界の帝王モリアーティが歌舞伎町イレギュラーズの高校生隊長に、“聖典”のワトソン夫人である才女メアリ・モースタンがコギャル探偵メアリ・モーンスタンにと、オリジナルの人物像をこれでもかと変形したキャラ設定が楽しい。私が最も笑ったのは、潔癖で童貞の探偵・京極冬人(モデルは、あの作家だよね〜)。ギャグがどぎついので人によって好悪が分かれるだろうが、私は嫌いでない。

【短評】虚構推理

【評価:☆】
 オカルトとミステリを合体させたアニメ。同種の作品には、『心霊探偵 八雲』『tactics』『真夜中のオカルト公務員』などがあるが、どれもあまり成功したとは言えない。理由ははっきりしている。オカルトものだから作者が思いつくまま非現実的な要素を導入できてしまい、すっきりとした合理的な解決が得られないからである。
 本アニメでメインになるのは、事故死したアイドルの幽霊とされる鋼人七瀬の正体を巡る謎だが、本当に幽霊なのだから、真相を明らかにしても解決にはならない。この現象に対してSNSの参加者を納得させる合理的な解釈をつけることが、探偵役の岩永琴子に与えられた課題である。ところが、彼女が提示するのは、どう考えても納得できるはずのない不合理な解釈。小説ならば、次々と観念的な文言を繰り出して読者を幻惑させることが可能だが、アニメになると、迫力のないバトルシーンを差し挟みながら、絵入りの説明をダラダラと続けるだけなので、説得力も何もあったものではない。ところが、なぜかSNSの参加者は、この舌足らずの主張になびいてしまう。「そこは突っ込みどころだろう」と画面の外から突っ込んでしまった。

【短評】推しが武道館いってくれたら死ぬ

【評価:☆☆】
 シンプルなアイデアに基づく作品のため、途中でネタ切れとなって後半単調になったのが惜しまれるものの、第3話までは素晴らしい。
 NHKが本気を見せた怪作『ねほりんぱほりん』では、売れない地下アイドルがライブ後の物販で涙ぐましい努力を強いられるさまが描かれ、「そこまでしてアイドルでいたいか」と突っ込んだものだが、本アニメで取り上げられたのは、それよりほんの少しマシな程度の弱小アイドル。数十人のファンから熱い声援を送られ、何とも嬉しそうに微笑む姿に泣けてしまう。
 そんなアイドルグループChamJamの中でもひときわ人気のない舞菜を熱狂的に推すのが、主人公のえりぴよである。内気な舞菜は好意をうまく伝えられず、二人の思いはすれ違ってばかり。第3話でえりぴよは、電車内でプライベートの舞菜とばったり出会うが、「ごめん、車両変えるから。次の駅で降りるし」と会話もせずに立ち去る。
 わかるよ、えりぴよ、よくわかる。それが無償の愛なんだね…うん…(わかりすぎて、我ながら怖い)。

【短評】さらい屋 五葉

【評価:☆☆☆】
 人生の悲哀をしみじみと感じさせる時代劇アニメ。子供に見せるのはもったいない。グラスを傾けながら、独りでじっくり味わいたい作品だ。
 登場人物の誰もが、周囲の無理解や社会のしがらみによって、思いがたわめられ生きづらさに苦悩する。それでも、大人はかすかな笑みを浮かべて生き続けなければならない。コミュ障のせいで仕官してもすぐに解雇され、少し腹黒い弟に家督を譲ることになった主人公の浪人をはじめ、愛娘を辱められた過去を持つ心優しい大男や、養子に入った家で嫡子が生まれ養父に裏切られた青年など、悲惨な人生なのに絶望することなく、昏い情念を押し殺して世を過ごす。いつの時代も、人生はままならないということか。
 原作は、オノ・ナツメのマンガ。彼女の作品は、キャラが控えめで派手なシーンに乏しく、一見、アニメ向きではなさそうに思えるものの、意外に相性が良いらしい。おそらく、表面的にはストーリーが淡々と進みながら、その背後に奥深い物語を潜めるという手法が、アニメ作家の意欲に火をつけるのだろう、これまで、『リストランテ・パラディーゾ』(監督:加瀬充子)、『ACCA13区監察課』(監督:夏目真悟)、そして本作(監督:望月智充)がアニメ化されたが、いずれも大人の鑑賞に堪える佳作である。

【短評】幕末機関説 いろはにほへと

【評価:☆☆☆】
 勝海舟や土方歳三らが活躍する幕末の動乱を後景、時事ネタを再現して演じる劇団を前景に据えた二重構造のプロット、坂本龍馬の暗殺を防げなかったと悔やむ青年剣士と、両親を謀殺した仇を追い続ける美しい女座長という魅力的なキャラ---このままストレートに展開すれば、素晴らしいアニメになったはずなのにと惜しまれる作品である。残念ながら、オカルト好きという高橋良輔(原作・総監督)の性格が悪い方向に作用して、後半で結構が崩れてしまった。
 高橋の作品は、『装甲騎兵ボトムズ』『ガサラキ』でも、途中からストーリーにそぐわないオカルト要素が入り込んで流れを妨げる。『いろはにほへと』では、世界に争いをもたらす「覇者の首」が榎本武揚に取り憑き、蝦夷を巡る無用な動乱を引き起こすという展開。それだけなら史実に則ったエピソードを装えたはずだが、なぜか五稜郭が難攻不落の要塞に変貌したり、二人の主人公が「永遠の刺客」として戦うなど、はっきり言って、終盤には訳のわからない話が続く。
 面白い部分だけ抜き出せば、星をもう一つ加えて良い秀作なのだが。

【短評】甘城ブリリアントパーク

【評価:☆☆】
 「寂れた遊園地をいかに再生するか」というプロットが、「テーマパークのキャストが本物の妖精」という設定とバッティングして、面白くなりそうな話なのに一向に盛り上がらない。
 遊園地再生の成功譚には、ハウステンボスやピューロランドなどでのケースが知られている。基本的な方針は、どこも同じである---「具体的な行動を通じて従業員の意欲を引き出し、客を楽しませることに徹したオンリーワンの仕掛けを作り上げる」。ところが、甘ブリの場合、キャストが妖精だという時点ですでにオンリーワンのパークであり、主人公・西也の打ち出す対策は、低価格による集客やサッカー試合の開催などパークの実情にそぐわないもの(低価格路線が遊園地再生にあまり効果のないことは、ハウステンボスなどで示されている)。おまけに、西也の秘書としてキャストとの対応に当たる千斗は、銃を振り回すばかりで人間的な性格設定がされておらず、キャストの意欲を引き出すにはほど遠い。後半で本物の妖精が活躍するアトラクションに観客が熱狂するが、はじめからこれをやっていればと思ってしまう。
 全体的に言って、ストーリー展開にかなり無理があり、キャラの滑稽な仕草で視聴者を面白がらせるに留まる。現実的な課題をファンタジー設定の枠内で取り上げるのがいかに難しいか、アニメ作りにおいて他山の石となりそうな作品だ。

【短評】サカサマのパテマ

【評価:☆☆☆】
 大災害によって重力が逆転した世界に生きる地底人が、通常の重力を受ける地上人と出会ったとき、何が起きるかを描いた作品。
 何と言っても、圧倒的なスペクタクルに感服。最近のアメリカ製スペースオペラなど、子供だましにしか見えない。上下が反転するときのゾクゾク感は、アニメならではのリアルな感興で、この作品に出会えた喜びに心が満たされる。
 残念ながら、脚本が弱い。SF的な設定が非科学的なのは致し方ないが、独裁者の描写があまりに類型的で展開が読めてしまい、視聴者に「自分がそこにいたらどうしよう」と思わせるだけの切迫感がない。せっかくのスペクタクルを生かし切れていない憾みがある。

【短評】RD 潜脳調査室

【評価:☆☆☆】
 50年間の昏睡から目覚め、老人の肉体と青年の心を併せ持つことになったかつてのダイバーが、サイバーパンク以来お馴染みの「電脳空間へのジャックイン」を、まるで海中へのダイビングのように実践するというお話。電脳空間が現実の海とつながっているという、科学的には怪しげな設定だが、Production I.Gによる映像が美しいので、野暮な突っ込みは止めておこう。無理に大団円をデッチ上げたようなラスト6話を除くと、他は電脳空間を舞台とした1話(1編だけ2話)完結のエピソードであり、それなりに楽しめる。演出はやや平板で、ウェルメイドな脚本を生かし切れていない憾みがある(例えば、第9話に登場する技術課の課長が、有能かつ誠実であるが故に課員から信頼されていることが映像できちんと描かれていれば、後半の展開はもっと感動的になったはず)。ただし、第10話「至高の話手」は、キューブリック『2001: A Space Odyssey』の白く輝く部屋を彷彿とするシーンが素晴らしく、繰り返しの鑑賞に堪える傑作である。
 登場する女性キャラはすべてぽっちゃりタイプで、人によっては馴染めないかもしれない。私は、最近目につく「胸だけ大きな幼女体型」にうんざりしている口なので、こうしたキャラデザは嬉しい(もっとも、ズボンを履いたソウタより隣に立つホロンの生足の方が太かったのには、笑ってしまったが)。

【短評】Fairy gone フェアリーゴーン

【評価:☆☆】
 『天狼』『色づく世界の明日から』に続くP.A.WORKSのオリジナルアニメだが、またしてもストーリーに芯がなく、美麗な作画が活かされていない。『Fairy gone』の舞台となるのは、妖精と呼ばれる異形の生き物が兵器として利用される前近代ヨーロッパ風の異世界。妖精を操るための妖精書や人工妖精を巡って繰り広げられる国家的な謀略に、ヒロイン・マーリヤらが巻き込まれるというストーリー。しかし、妖精がどんな存在かが視聴者に伝わるように描かれておらず、激しいバトルの場面でも迫真性が全くない。妖精に攻撃が加えられるシーンでマーリヤが苦しそうな表情を見せるものの、何を苦しがっているのかわからないので、逆に笑ってしまう。
 ここで「わかる/わからない」とは、妖精の正体を問題にしているのではない。『進撃の巨人』では、巨人の正体はなかなか明らかにされない(し、明らかになった途端に迫力が半減した)。だが、「圧倒的な強者で本能のまま人間を食らう」という特性だけは明確にされており、そのことが、見る者に異様な恐怖感を与えた。妖精が何であるかはわからなくてもかまわないが、何を感じどんな欲求を持つのかがわからないと、彼らの行動に対して反応しようがない。
 ヒットする作品とは何か−−ヒッチコックの言葉が参考になる。曰く、家に帰った娘がどんな内容だったか母に訊かれたとき、「あのねお母さん、貧しい青年がいて…」と説明できるような作品である。プロットが明確で、見る者が作品世界に入り込めることが大切なのだ。オリジナルストーリーにこだわるのもいいが、企画立案の際に、何を最優先させるべきかを第一に考えてほしい。

【短評】PSYCHO-PASSサイコパス3

【評価:☆☆】
 アニメ史上に残る傑作だった第1期を受けて続編(2作)や劇場版(4作)が作られたが、虚淵玄(第1期脚本)による当初の設定からどんどんと遠ざかるばかり。虚淵が描き出したのは、高度な監視網を利用して犯行以前に犯罪者を摘発するディストピアだった。ところが、続編を作るに当たっては、公安局刑事課の構成を固定し、取り締まられる側の人物をエピソードごとに変えた方が、単純なプロットの上にさまざまなヴァリエーションを展開できるため、新規の視聴者にもわかりやすく都合がよい。この方針で制作された結果、ディストピアものとしての性格は薄れ、公安局と犯罪的集団の対決という安直な物語に後退した。
 第3期となる本作も、対決の構図は単純。冒頭から奇怪な事件が連続して起きるので、深遠な物語が展開されていると錯覚する視聴者もいるだろうが、複雑に見えるのは異質な事件を串ダンゴのように次々と付け加えているからにすぎない。過去作の登場人物を再起用するものの、人間的な厚みが充分に描かれておらず、単なるファンサービス(弥生がやけに素直な性格になっているし)。第1期で作品の幅を拡げる重要な要素だった監視官と執行官の心理的対立も目立たず、見ていて両者の区別がほとんど付かない。第1期が異形の傑作だとすれば、第3期は端正な凡作である。
 シリーズものの場合、アニメ以外にも、第1作の設定が後続作品で活かされないケースは少なくない。日本映画で言えば、『陸軍中野学校』の第1作は、良心的愛国者が国を愛するあまり最も非人間的な行為に手を染める悲劇を描いたものだったが、第2作以降は、日本人スパイが国に仇なす悪人を退治する痛快活劇に変貌した。ハリウッド映画ならば、反戦的な第1作から好戦的な第2作以降へとベクトルが反転した『ランボー』のようなケースもある。第1作のヒットでキャラクターが金づるになると踏んだプロデューサーの節操のなさが、何ともうとましい。

【短評】BEASTARS

【評価:☆☆】
 擬人化された動物の高校生活を描く物語で、情欲の表現が人間よりも生々しい点に特色がある。ディズニーアニメでも、服を着て2本足で歩き人語を話す動物が登場するが、これは、「実は動物だ」という表現の枠を設けることで、人間的な特性を減殺するためのテクニックである。ちょっとしたことで異常に怒り出すのが人間ならば、不気味で敬遠したくなるのに対して、それがアヒルの場合、気兼ねなく笑い飛ばすことができる。ところが、『BEASTARS』における擬人化動物たちは、人間性が減殺されるのではなく、動物性がプラスされている。肉食獣は心の内で草食獣を捕食したがっており、草食獣は短い一生の間に子孫を作らなければと性欲が強い。こうした情欲がいつ噴出するかを巡って、ドラマが展開される。
 もっとも、さすがに動物的な情欲に対しては、なかなか共感できない。このシーンでハイイロオオカミはドワーフウサギにどんな感情を抱いているのか、画面で説明されるまでわからないし、説明されても腑に落ちないことがしばしば。新しい試みだとは思うものの、どこか空回りしている印象を受ける。
 キャラデザはいかにも平凡。オープニングアニメのような3Dで全編を制作したら、グリム童話を彷彿する不気味なファンタジーになって面白かったかも。
【追記】2021年に放送された第2期は、ピナやイブキなど、性格が重層的で興味深いキャラが登場したこともあって、設定に頼りすぎてドラマが希薄だった第1期より楽しめた。

【短評】本好きの下剋上

【評価:☆☆】
 司書就任の直前に頓死した女子学生が、中世ヨーロッパ風の異世界に幼女マインとして転生、生前の夢を叶えるべく、書物のない世界で本作りから始めるという物語。しかし、なぜ本作りなのかという動機の曖昧さがあるため、今ひとつ作品世界に入り込めない。
 異世界や遠い過去に飛ばされた主人公が、以前の記憶や知識を頼りに社会に変革を起こすというストーリーは、アメリカにおけるSF黄金時代から人気があった。最も有名なのが、ディ・キャンプ『闇よ落ちるなかれ』(1939)で、雷に打たれてローマ帝国末期にタイムスリップした主人公が、アラビア数字による計算法や簿記、印刷・通信技術を広めることで、中世暗黒時代の到来を防ごうとする歴史改変もの。日本のサブカル作品ならば、中世風の異世界で現代的な科学技術に基づく改革を主導した少女魔王を描くラノベ『まおゆう魔王勇者』(2013年にアニメ化)がある。こうした先行作品では、現代的な知識を用いて社会変革を進めるという明確な目標があり、話がどの方向に進んでいくかわかりやすい。
 ところが、マインがなぜ本を作ろうとするのかは、謎である。司書志望の人には読書家が多い。彼らは本を読むのが好きなのであって、本が並んでいるのを見るだけで嬉しがるわけではない。マインが転生したのは本のない世界なので、製紙・製本技術を開発したとしても、誰かが執筆しない限り、読むに値する本は作れない。生前に読んだ本を再現するためには、記憶がはっきりしている間に書き起こすべきなのだが、マインが書物の内容を覚えているようには見えない。異世界には魔術や宗教に関するわずかな書物はあるものの、これが読みたいのならば、自分で本を作る理由はない。マインが本作りに必死になるほど、「なぜ?」という疑念が頭をもたげる。
 こうした動機の曖昧さに加えて、本作りの過程で直面する障害に対して、しばしばご都合主義的な解決がなされるのも感興を削ぐ。例えば、紙の原料として最適な植物が突然見つかったり、製紙工房に気前よく資金を提供してくれる人が現れたり…。小さな女の子が大人顔負けの知識を披露するシーンは面白いが、そこから話は広がらない。不完全燃焼感ばかりがいや増す作品である。

【短評】BLUE GENDER

【評価:☆☆☆】
 知能の低いモンスターの襲撃を受け絶滅の瀬戸際に追い詰められた人類が、常識破りの技術や超能力を駆使して反撃を試みるアニメには、これまで、『GOD EATER』『ダーリン・イン・ザ・フランキス』『トータル・イクリプス』『ブラック・ブレット』などがあったが、本作は、この種の作品中、最も出来が良い(ただし、秀作と言えるほどではない)。私が長所として評価するのは、人類滅亡という危機にふさわしく、余計な萌え描写やギャグがない点。自分の命も危うい切迫した状況にすべてのキャラが真剣に対峙しており、リアルで迫力がある。巨大ロボットが登場するが、高橋良輔(企画協力として参加)のリアルロボット・アニメの伝統を受け継いでおり、機体に対する過剰な思い入れがなく、取り替え可能な兵器として扱われる。制作年度が古いので、作画は現在のアニメほど緻密ではないものの、状況がわかるようにしっかり描写しており、(少なくとも私には)不満がない。重要キャラかと思われた登場人物が次々に殺され、肉体がずたずたにされる残虐場面も多いので、注意が必要(私は、スプラッターになりそうなシーンでは目をつぶっていた)。
 なお、終盤にテレビアニメとしては珍しいセックスシーンがあるが、絶望的な状況下で男女が愛を確かめ合うものであり、必然性があって美しい。

【短評】91days

【評価:☆☆☆】
 日本では珍しい冷酷なギャングアニメの佳作。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のような重厚なギャング映画が好きな人向きで、お子ちゃまは見ない方がよい。ギャグはもちろんロマンスすらなく、男同士の友情が物語に花を添えるかと思いきや…
 復讐ものだが、『忠臣蔵』のように大衆から喝采を浴びる爽快な復讐劇とは一線を画する。見終わった後、復讐者がどんな計画を練って行動に移したかをじっくり考えると、腹の底に重石が入ったような言い知れぬ怖ろしさを覚えるだろう。

【短評】PERSONA -trinity soul-

【評価:☆☆☆】
 『ペルソナ』は、主にプレイステーション用に開発されたRPGのシリーズで、これまで、番号なし〜5のナンバリング作品と、多数の派生作品が発売されている。私は一つもプレイしていないが、「能力者はペルソナと呼ばれるアバターを発現させられる」という共通の設定があり、「ペルソナを育成し悪魔と闘わせる」というバトルゲームから始まって、さまざまなヴァリエーションが生まれたそうだ。このゲームを原案/原作とするアニメも複数あり、「ペルソナ3」を基にしたテレビシリーズ(本作)と劇場版4作、「ペルソナ4」を原作とするテレビアニメシリーズ2作、「ペルソナ5」を原作とするテレビ特番とテレビアニメシリーズ1作が制作された。
 本作『PERSONA -trinity soul-』は最初に作られたアニメ作品で、「ペルソナ3」の世界観を受け継ぎながら、ストーリーやキャラクターは一新されたようだ。重苦しく救いのない内容は、原作と異なるアニメ独自のものらしい。バトルシーンは少なく、次第に日常生活から逸脱していく不気味さに目を向けた、心理ドラマとしての性格が色濃い。
 冒頭から何の説明もなしに謎めいた事件が描かれるので、気軽に楽しめるアニメではない。ペルソナを通じて能力者の心の闇があらわになる展開は何とも陰鬱で、実に私好みである。派生アニメの全部を見たわけではないが、個人的な感想を言わせていただければ、大人のアニメファンにとって見る価値があるのは、この『トリニティ・ソウル』だけである(偏見かな?)。

【短評】ましろ色シンフォニー

【評価:☆☆☆】
 純愛アニメの佳作。原作はハーレムもののエロゲー(未プレイ)で、登場する女性たち一人ひとりを攻略するルートがあるようだが、アニメでは、一人の女性を真摯に愛するピュアな恋愛ドラマとなった(でもなぜか、一カ所だけHシーンが残っている…)。
 エロゲーを原作とするアニメはかなりの数に上り、原作同様のエロアニメも少なくない。しかし、(おそらくプロデューサーの意向で)エロシーンをカットして一般向けにした場合は、脚色を担当したライターの手腕によって、素直に楽しめる良質なドラマに変貌することもある。本作は、『ななついろ★ドロップス』(シリーズ構成:島田満)、『Kanon(京アニ版)』(同:志茂文彦)と並ぶ、このタイプの代表作と言えよう。ただし、シリーズ構成は「チームRIKKA」とクレジットされており、誰の功績かははっきりしない。

【短評】夏雪ランデブー

【評価:☆☆☆】
 「大人にオススメの恋愛アニメは?」と尋ねられたら、まず名前を挙げたい佳作である(後で「変な作品を勧めて!」と文句を言われるかもしれないが)。
 テレビアニメで恋愛が真剣に描かれることは、意外に少ない。ラブコメというジャンルはあるものの、そこで描かれるのは単なる恋愛ごっこであり、登場人物の恋愛感情を掘り下げるような心理描写はほとんどない。中高生の恋心を真面目に取り上げた作品には、『好きっていいなよ。』『君に届け』『アオハライド』『月がきれい』などがあるが、大人からすると「それは恋愛未満の好き嫌い」と思える。こうした中で、大人の恋愛をまっすぐに見つめた本作は貴重である。
 「まっすぐに」と書いたが、設定はファンタジー。若くして未亡人となった女性に、8歳年下の青年が恋をするという始まりは、よくあるメロドラマのよう。ところが、そこから話が急転、死んだ夫が幽霊として登場し、まるで子供のように青年の恋路を邪魔するのだ。この夫がなぜ成仏できないのか、3人は本当は何を求め最終的にどんな決断をするか−−そんなことに思いを馳せながら鑑賞すると、表面的な軽さとは裏腹の真摯な愛情が伝わってくる。
 Aimerが歌うED曲「あなたに出会わなければ 〜夏雪冬花〜」も心に沁みる。色恋沙汰に縁のない私だが、こんな恋愛ならしてみたい。

【短評】幸腹グラフィティ

【評価:☆☆】
 近年、食べ物を美味しそうに描くアニメが増えており、『甘々と稲妻』『ラーメン大好き小泉さん』などの佳作もあるが、本作は少し行き過ぎ。食べ物の描き方がセンシュアルすぎて、食べることの喜びが伝わらない。美味しいと感じさせるのは、食べ物の味だけではなく、どのように食べるかというシチュエーションの役割も大きい。本作では、そのことをキャラに指摘させているにもかかわらず、状況描写が不充分な一方で、見た目を華やかにする表面的な作画に必要以上に力を入れる。テクニックに溺れて、キャラの心情をなおざりにしたと言わざるを得ない。

【短評】終末のイゼッタ

【評価:☆☆】
 表面的にはウェルメイドな良作に見えるものの、脚本に筋が通っていないので、深い感動を与えることができない。
 舞台となるのは、20世紀半ばのヨーロッパとそっくりな架空世界。ナチスドイツを思わせるゲルマニア帝国は、強大な戦車部隊で周辺諸国への侵略を開始、アルプスに面したのどかな小国・エイルシュタット公国にも危機が迫る。大公の娘フィーネは、戦乱のさなかに、かつて窮地から救った魔女イゼッタと再会、二人で力を合わせて祖国を守ろうとするのだが…。
 このアニメの欠点は、状況を設定しただけで、作品の流れを方向付けるドラマ作りがおろそかになった脚本にある。例えば、イゼッタとフィーネに関して、幼少期の出来事を紹介したものの、大人になった二人がどのような動機に基づいて行動しているかが語られないため、なぜイゼッタがあそこまでフィーネに忠誠を尽くすのか判然としない。全般に内面描写が希薄で物語を推進するエンジンとなるものがなく、話を展開するために、「イゼッタにはこんな弱点があった」「実はもう一人魔女がいた」といった新たなきっかけを、後出しジャンケンのように次々と付け加えていく。その合間に、視聴者の歓心を買おうと、不必要な百合描写や裸体表現を挿入するので、話は散漫になる一方。そのまま、大味でいかにもご都合主義的なラストを迎える。
 よく似た設定を採用した『幼女戦記』の迫力と衝撃には、遠く及ばない。

【短評】西洋骨董洋菓子店〜アンティーク〜

【評価:☆☆☆】
 イケメン4人が勤める洋菓子店の物語。薔薇(←男性同性愛の隠語、若い人は知らないかな)の香り紛々たる内容だが、4人の生き様に人生の厳しさ・辛さが滲み出ており、見ていて不快ではない。人間交差点を思わせるストーリーは、かなり本格的。主人公のPTSDとなる陰々滅々とした誘拐の話よりも、洋菓子がらみの前向きなエピソードの方が面白い。

【短評】OVERMAN キングゲイナー

【評価:☆☆☆】
 支配を嫌って逃げる自由人と何が何でも追いかける支配者の、そこまでやるかという追いかけっこの物語。監督の富野由悠季は、『ブレンパワード』を転回点として、祝祭的な雰囲気の強い作品を発表するようになったが、その特徴が最も強く表れた作品である。命懸けの戦闘のはずなのに、妙に楽しげで誰も死にそうにない。巨大ロボットのパイロットを英雄にしないという方針は見事なまでに徹底され、主人公のゲイナーは「こんなのあり?」と思えるほどイモっぽい(←褒め言葉です!)。

【短評】ACCA13区監察課

【評価:☆☆☆】
 オフビートなポリティカル・スリラーの佳作。オフビートとは、もともとジャズなどで通常は弱拍となる箇所にアクセントを置く演奏を意味する。さして面白くないコメディ映画の宣伝文句として苦し紛れに使われることもあるが、ここでは、褒め言葉のつもりである。
 舞台となるのは、文化や産業が大きく異なる13の自治区が緩やかに結ばれた架空の王国。この多様性に富んだ国をまとめるのが、象徴的な存在であるドーワー王室と、小さな自治体に起きがちな不正に目を光らせる統一組織ACCAである。平和な世情が100年近く続いたため、ACCA不要論が高まる中、各自治区に設置されたACCA支部に赴いた監察課副課長ジーンの耳に、何やらきな臭い噂が聞こえてくる…。
 このアニメの特徴は、冒頭にも書いたオフビートな展開。ありきたりのドラマなら、途中で起こる要人誘拐やクーデターなどのアクションシーンに力が入るのに対して、本作の場合、その辺りはさらりと流される。代わりに、嗜好品の描写がやたらに濃い。タバコが超高級品になっており、ゆったりと紫煙をくゆらすだけで政治的な示威行為となる。しかも、登場人物全員がなぜか甘いもの好きで、課内でも視察先でもスイーツの話題が最優先。そんなほっこりする描写の背後に、どす黒い謀略が渦巻く。
 こうした作品に接すると、型どおりの映像がいかに見る者の思考力を奪うかを実感させられる。激しいアクションシーンがあれば、どうしても、敵と味方、善玉と悪玉に区分する単純化した見方を採用してしまう。ヒーローの英雄的な行為にうっとりして、作品に込められていたかもしれないメッセージを見逃す危険性も大きい。一方、『ACCA』では、表面だけ見ていると、何が起きているのか訳がわからなくなる。穏やかにタバコを吹かしたり甘いものに舌鼓を打ったりする情景の背後に何があるか、映像を見る側が真剣に考えを巡らし読み解かなければならない。一見平和な社会の裏にどんな不満がくすぶっているか、多様性を否定し中央集権化を進めようとする人々の本心はどこにあるのか−−画面のあちこちに、ずっしりとした問いかけが見え隠れする。
 何も考えずに楽しめる作品ではないが、それだけに、集中して見た後の充足感は大きい。

【短評】荒川アンダーザブリッジ

【評価:☆☆】
 エリート街道驀進中だった若者が、ひょんなことから、荒川の河川敷に住むフリーで電波な人々と共同生活を始める物語。第2話までに登場する3人は、現実でもしばしば見かけるキャラをアニメ的にデフォルメしたもので、その内面を想像することが可能である。自称「金星人」のニノさんは、他者の心の内を忖度せず、社会の常識ではなく自分律に従う。村長は、カッパという匿名性の中に引きこもり、その範囲に限って尊大に振る舞うパーソナリティの持ち主で、SNSでは珍しくもない。かつて有能な営業マンだった白(白井通)は、与えられたラインから外れることを恐れるあまり強迫神経症に罹ったことが窺える。彼らは、少し変わった性格でさして危険性がないにもかかわらず、付き合うのが面倒というだけで社会から阻害されるタイプ。現代社会では生きづらさに苛まれるであろうこうした人々の姿を、ギャグを絡めて好意的に描き出した第2話の途中までは、抜群に面白い。
 しかし、この辺りでキャラのアイデアが尽きたのか、上記の3人以外は、リアリティを感じさせない人ばかりとなる。例えば、シスターは、修道尼の格好をした傭兵上がりの偉丈夫で、何かにつけて銃器を持ち出すという、よくあるギャグ要員。星やマリアも、類型を先鋭化したキャラにすぎない。人間ドラマとしては掘り下げが浅く、コメディとしても大して笑えない。第3話以降の失速感は、いかんともしがたい。
 もっとも、ニノさんだけは、最後まで豊かな人間性を感じさせる。特に、第2話でリクが彼女に頭を洗ってもらうシーンは素晴らしい。見ていて泣きそうになった。

【短評】ココロ図書館

【評価:☆☆☆】
 街から離れた僻地にポツンと建つ図書館。週に数人の利用者に応対するために司書として働く三姉妹の日常を描いた、萌えと癒やしのアニメ…かと思いきや、終盤になると、背後に重い物語があることがわかってくる。なぜ、そんな僻地に図書館があるのか? この図書館で奇跡が起きると言われる理由は? そして、世界的な怪盗は何を目当てに蔵書を盗む(ただし、期限までに返却してくれる)のか? 原作(同人誌に発表された高木信孝の作品を少年誌連載用のストーリー漫画にスケールアップしたもの)の時点からシナリオ作りに関与した黒田洋介の筆力が冴える佳作である。特に、第11話「ジョルディの日記」が感動的。

【短評】アベノ橋魔法☆商店街

【評価:☆☆☆】
 昭和の雰囲気を漂わせる商店街が再開発されようとするさなか、街を護っていた四神獣の最後の一つが事故で壊れ、それをきっかけに、幼なじみの小学生・あるみ(♀)とサッシ(♂)は異世界に飛ばされて不思議な体験をする−−そんな設定の下に描かれた、ちょっとノスタルジックで甘酸っぱさを感じさせる佳作。異世界での出来事は、スタッフ(制作会社・GAINAXの山賀博之、今石洋之、樋口真嗣、庵野秀明のほか、佐藤竜雄や片渕須直も参加している)が悪乗りしたかのようなスラップスティックギャグの連続だが、バックストーリーがしっかりしており、笑いをとるだけではなく、時にしんみりさせる。初回と最終回、それに第7話が全体的な構成を示す枠組みとなっており、この部分をきちんと読み解けば、異世界の随所に現実の姿が反映されていることがわかる。

【短評】空中ブランコ

【評価:☆☆☆】
 奥田英朗による直木賞受賞作のアニメ化で、監督・中村健治(『怪〜AYAKASHI〜 化猫』『モノノ怪』)の独特の感性が光る佳作である。ライトノベルと異なって原作にイラストがないことを逆手に取り、主人公の精神科医・伊良部のキャラデザには驚くべき裏技が使われた(予備知識なしにアニメを見てのけぞってほしい)。ポップでキッチュな映像は幻惑的で、精神疾患を取り上げた硬派なストーリーとのミスマッチ感が、逆に心を揺さぶる。人間精神の不可解さが映像化されたかのようだ。
 生身の人間の映像をアニメ画に起こすという手法も、強烈なアイキャッチ効果を上げている。同じテクニックが、本作の4年後にアニメ『惡の華』(監督は『蟲師 』の長濱博史)で用いられたときには、「アイデア倒れ賞」ものの出来だったが。

【短評】ぼくたちは勉強ができない

【評価:☆】
 優秀な生徒を登場させる学園ラブコメは、『バカとテストと召喚獣』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『涼宮ハルヒの憂鬱』など、以前からかなりの本数が制作されている。しかし、これらの名作と比べて、本アニメや『かぐや様は告らせたい』のような同趣向の近作は、あまり面白さが感じられない。おそらく、優秀な人材に対する作者(原作者 or 脚本家 or アニメーター)のルサンチマンが随所に漂っており、不愉快な気分にさせられるからだろう。
 私は、そこそこの進学校の出身なので、本当に頭の良い中高生がどんなものか、その実態をある程度は知っている。彼らは、往々にして、知識量や暗記力はそれほどではない。事象の連関性を見出したり、視点を自在に変更したりする能力に長けているのである。例えば、『バカテス』に登場する坂本雄二は、間違いなく特A級の才人である。ところが、実態を知らない作者は、膨大な知識をひけらかすか、推論抜きでいきなり結論に飛びつくような、現実の学園では決してトップになれない人物を、さも天才であるかのように描いてしまう。現実には、たとえ計算力が異様に優れた生徒であっても、文章の理解力がないと問題文が読み解けないので、数学の成績は悪い(つまり、本作のリズのような生徒はいるはずがない)。優秀さをネタとして使うことができず、むしろ、あまりにドジな行為をギャグとして描き視聴者を笑わせようとするだけなので、コメディとしては底が浅いと言わざるを得ない。もっとも、浴室掃除の際にリズが「清掃中」の札を自分の首に掛けたエピソードには、本気で笑ってしまった。私も似たような失敗をしたことがあるので…。

【短評】同居人はひざ、時々、頭のうえ。

【評価:☆☆☆】
 「両親が急死した引きこもり気味の青年作家が、意に反して猫を飼い始める」という設定はありきたりで、人間関係もさして興味を引くものではない。しかし、初めてペットを飼うときのとまどいは面白い。適当なエサの量がわからず、全部食べるので皿いっぱいに入れてしまう。動物は、食糧不足を何よりも恐れており、うっかり食べ残すと生存競争のライバルを呼び込むリスクがあるため、与えられたエサは本能的にすべて食べるのだ。初心者がやりがちな失敗である。
 各回後半で、前半と同じ出来事が猫の視点から描かれるところは、なかなかに楽しめた。

【短評】Aチャンネル

【評価:☆☆☆】
 ガールズグループの日常を描くアニメの佳作。『らき☆すた』『ゆるゆり』などと比べて常識からの隔たりは小さく、『のんのんびより』『ひだまりスケッチ』『きんいろモザイク』などと同様に、実際にありそうなリアリティあふれる描写が秀逸である。
 もちろん、多少の誇張はある。いくら寝ぼけたとはいえ、パンツを履き忘れて登校する女子高生など、現実にいるとは思えない(ブラジャーを着け忘れた女子高生なら知っているが)。しかし、物語の大半は、家が近いので雨の中を駆け出し、下着までズブ濡れになってしまったとか、花火大会で絶好の見物スポットがあると高台に向かい、着いたときには終了間際だったといった、「あるある」と呟きたくなるささやかな出来事が中心。一見クールなのに、結構ドジなナギがカワイイ。
 さらに、大きな魅力となっているのが、河野マリナが歌うOP曲「Morning Arch」。これほど爽やかで心が浮き立つアニソンは、他に、いきものがかり「青春ライン」(『おおきく振りかぶって(第1期)』後期OP)くらいしか思いつかない。

【短評】ゴブリンスレイヤー

【評価:☆】
 昔、『ドラゴンスレイヤー』という大ヒットゲームがあったが、本作の主人公は、ドラゴンならぬ異世界最弱のモンスター・ゴブリンをひたすら殺しまくる。ゴブリンとは、もともと、ヨーロッパの民間伝承に登場するイタズラ好きの妖精。トールキンが醜い邪悪な生き物として描いたことから、RPGなどで冒険を始めたばかりの者が相手にするのに手頃な雑魚とされた。もっとも、本作のゴブリンは、弱いながらも、集団で襲いかかって冒険者を殺し女性を性奴隷にする。それでも、大物狙いの冒険者は目もくれない。そこで、ゴブリンスレイヤーの登場と相成ったのである。
 開巻まもなく、ゴブリンが少女を集団でレイプする生々しいシーンがあり、その復讐という名目で、主人公がゴブリンを次々と血祭りに上げる。ゴブリンによる農場襲撃計画が判明すると、自警団を組織して襲い来るゴブリンを一掃する。だが、少し考えると、こうしたストーリーに無理があることがわかるはずだ。農場は封建制の社会において最重要の財である。新規の開拓地ならばともかく、街には賞金稼ぎがごろごろしており、彼らに金を払う組織もあるのだから、財を強奪する外敵の侵入があれば、何らかの対応が講じられて当然である。それなのに、なぜゴブリンスレイヤーひとりが苦労して戦わなければならないのか。
 加えて言えば、人間の目にゴブリンが醜く見えるのだから、当然、ゴブリンからすると人間の方が醜い生き物となる。彼らが嬉しそうに人間の娘をレイプするのは、何とも奇妙である。
 もちろん、こうした無理を押し通すのは、醜く邪悪なゴブリンは人間の敵だから、いくら殺戮してもかまわないと思わせるためである。主人公をいかにもストイック、しかも戦略に長けた英雄的存在に見せることで、視聴者の良心を麻痺させ、随所にちりばめられた暴力的な陵辱と血なまぐさい虐殺の描写を正当化する。小説ならばまだしも、多くの青少年が目にするアニメで、かくも扇情的なシーンがまかり通るのは、業界の退廃を示すように思われる。

【短評】ツルネ−風舞高校弓道部−

【評価:☆☆☆】
 弓道は、不思議な武芸である。伝統はあるもののメジャーとは言えず、スポーツと呼んで良いかもわからない。的に当てることを最終的な目標とするアーチェリーとは異なり、矢を射るという行為そのものの精神性を大切にする。
 一般的なスポーツ系部活アニメでは、どうしても勝敗にこだわりがちなのに対して、弓道にいそしむ高校生を描いた『ツルネ』は、こうした精神性に目を向ける。第4話「合わない筈」では、5人の射手が順に弓を引く際の所作が丁寧に説明されるが、その姿が実に美しい。前の人に少し遅れてゆっくり立ち上がり静かに構えるところは、まるで神聖な儀式のようだ。この光景は、最終話の決戦場面でエコーのように再現され、感動を増幅する。
 第4話には、コーチの青年が矢渡し(安全を祈念する儀式としての射)を行うシーンもあるが、肌脱ぎ(腕を袖から抜き肩や胸をあらわにすること)した姿が異様なほど色っぽい。
 部活アニメとしては、人間関係が深掘りされない、成長のきっかけが曖昧、勝負の決着がつく過程がご都合主義的−−などの欠点があるものの、所作の美しさと弓を引く音の迫真性ゆえに、佳作として星3つを付けたい。
 なお、主人公が罹る「早気(はやけ)」という病気についても一言。充分な溜めを取れず、意に反して性急に矢を放ってしまうことで、症状からすると、ピアニストにしばしば見られる局所性ジストニア(細かい動きが要求される筋肉の制御ができなくなり、過度に収縮したり別の筋肉が動いたりする)と類似した、脳神経系の疾患だと思われる。漫画家や美容師にも見られる病気で、確立した治療法はなく、長い時間をかけた療養が必要だとされる。

【短評】テガミバチ

【評価:☆☆☆】
 太陽の光が失われ、巨大なガイチュウが生息する荒れ地の拡がる世界。文明は衰退し、霊的エネルギーで輝く人工太陽の恩恵を受けるわずかな地域に、18世紀頃のヨーロッパを思わせる街並みが残される。ともすればすさみがちな人々の心を癒やすため、国家事業として、「テガミバチ」と呼ばれる配達人による「テガミ」の配達が続けられている。
 …というプロットを聞くと、なかなか面白そうなファンタジーを予想するが、原作者が途中でネタ切れになったせいか、テガミを巡る感動的なエピソードは第1期前半の一部のみ。ストーリーの大半は、テガミバチとガイチュウのバトルや、独裁的な政府による悪行の描写に費やされる(この傾向は、第2期になるとさらに強まる)。タイトル通り、テガミの物語を前面に押し出していれば、もっと高く評価できる作品になったのだが。

【短評】墓場鬼太郎

【評価:☆☆☆】
 1960年代から断続的に放送されているテレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』は、正義の味方・鬼太郎が悪しき妖怪たちと対決する、娯楽色の強い子供向け作品だが、アニメ放送に合わせて『ゲゲゲの−』と改題される前の水木しげるの原作は、全く雰囲気が異なる。もともとの紙芝居版は現存しないものの、その内容を継承した貸本漫画版『墓場−』や、少年誌に掲載された当初の『墓場の−』は、不条理で不気味な怪奇漫画。子供向けでない『鬼太郎』を偏愛するファンは、少数ながら貸本時代から確実にいた。ミステリ作家・京極夏彦を含むファンの声に後押しされて、2008年にフジ・ノイタミナ枠で放送されたのが、この『墓場鬼太郎』である。
 内容は貸本版に基づく。特に、悲惨な運命に弄ばれる猫娘(寝子)は、『ゲゲゲの−』におけるコミカルな姿とは全く異なり、見るのがつらくなるほど。心がタフでないと、最後まで完走できないかもしれない。

【短評】鉄人28号(2004年版)

【評価:☆☆☆】
 原作は、1956年から10年にわたって少年誌に掲載された横山光輝の漫画。掲載時から大人気だったため、実写版・アニメ版などがいくつも作られた。この作品は、テレビアニメ第4作に相当する。ストーリーはオリジナルだが、原作者の意図を尊重しており、復興が進む一方で悲惨な戦争の記憶に苛まれる世相を、正面から描いている。
 巨大ロボットを登場させる作品は、どうしても力への憧れに溺れてしまいがち。その傾向を戒め、「鉄人」という軍事技術の忌まわしさを見据えた本作は、大人の鑑賞に堪える。ただし、レトロな絵柄については、好き嫌いの分かれるところ。
 主題歌はアニメ第1作のものがそのまま流用されており、著名人を多数含む六本木男声合唱団が本気で歌っているのも楽しい。

【短評】BANANA FISH

【評価:☆☆】
 『BANANA FISH』は、吉田秋生(『吉祥天女』『櫻の園』)が、1985年から10年にわたって「別冊少女コミック」(日本マンガの歴史を変えた伝説の雑誌)に連載した長編。この傑作が、完成から四半世紀を経てアニメ化されると耳にしたとき、期待よりも不安が先に立った。樹なつみ『花咲ける青少年』や岩明均『寄生獣』に示されるように、発表から年月を経た漫画作品をアニメ化する際の障害は、想像以上に大きいからである。
 放送されたアニメを見たところ、原作の雰囲気を保ったまま舞台を現代に移し替えようと、監督や脚本家が腐心したことが伺えた。その努力を評価することには、やぶさかでない。しかし、原作が持つ圧倒的なパワーを再現するのは、やはり荷が重かったようだ。
 マンガとアニメは、似ているようで根本的に異なるメディアである。最も重要な相違点は、時間の扱いだろう。マンガは、時間の流れを自由に操れる。一つのコマで異なる時間を表現したかと思えば、思いを凝縮したコマによって一瞬を永遠に変えることも可能だ。ところが、アニメの場合、キャラの動きと作品内での時間の流れを連動させなければならず、制約が大きい。『BANANA FISH』のように物語性の強い作品では、キャラが実時間に近い流れの中で動き回ることになる。
 主人公のアッシュ・リンクスは、原作では象徴的な存在として場に君臨する。ところが、アニメになると、時間に束縛されて動き回るふつうの人間にしか見えない。しかも、原作で10年という長年月を掛けて醸成した人物像を、わずか半年で描ききらなければならない。その結果、原作の持つ象徴性は大幅に失われ、迫力満点だが胸に突き刺さるような痛みを感じさせることのない、良くできたアクション・アニメにしか見えなかった。アニメ単体ではもう少し高く評価すべき作品で、特に冒頭3話の描き込みは素晴らしいのだが、後半で原作から後退したことを重く見て、星2つとした。

【短評】無人惑星サヴァイヴ

【評価:☆☆】
 2003年からNHK教育テレビで放送された全52話の大作。事故で無人惑星に漂着した7人の少年少女(+ペットロボット)のサバイバルを描く冒険アニメなのだが…。
 NHKのSF/ファンタジー・アニメというと、前年の『十二国記』をはじめ、『プラネテス』『ふたつのスピカ』『電脳コイル』『精霊の守り人』など、大人が見ても感動的な名作が多い。しかし、この『サヴァイヴ』は、ストーリーが単純で完全に子供向け。未知の惑星であるにもかかわらず、14歳前後の子供たちだけで食料を見つけ家を作ってしまう、湖に直接口をつけて水を飲んでも誰も病気にならない−−といった突っ込みポイントも多い。ハワード一人に嫌われ役を押しつけ、他の6人は、多少の欠点はあってもいずれも“良い子”という設定は鼻白む。さらに、途中でネタ切れになったらしく、第26話でいきなり脱獄囚が登場し子供たちと対決する安直な展開に。終盤では、毎週のように「これじゃ死ぬだろう」という危地に陥りながら、奇跡的な幸運に恵まれて生き延びることの繰り返しとなる。
 サバイバルの過程をもっと具体的に描写して2クールにまとめれば、面白くなったはずの題材なのにと惜しまれる。

【短評】色づく世界の明日から

【評価:☆☆】
 いかにもP.A.WORKSの作品らしく、作画が丁寧で映像が美麗だが、肝心の物語に深みがない。「魔法が使える世界」についての考察が不充分で、時間を操ったり絵の中に入り込んだりする大魔法が可能なのに、なぜ日常生活のささやかな不自由がそのままにされるのか、わからないのである。このため、登場人物が特定の行動を採る理由が曖昧で、心理的な葛藤が描かれない。だいたい、なぜ瞳美は、「元の時代に帰る」という大前提がありながら平然と学校に通い、色がわからないのに美術部に入ったのか。特に異様なのが琥珀の言動で、さまざまな魔法が使えるにしては、生活の幅が狭すぎる。同じ設定で私が脚本を書くならば、過去の琥珀は登場させない。
 さらに、「色覚を失った主人公が、時折色づいた光景を目にする」という、映像作家にとって腕の振るいがいがある設定を採用しながら、表現の工夫に欠ける。モノクロ映像にカラーを混ぜると劇的な効果が生まれることは、『天国と地獄』『アンドレイ・ルブリョフ』『シンドラーのリスト』などのケースから明らか。アニメ『桃華月憚』の第21話「園」では、モノクロ画面がカラーに変わる瞬間を感動的に描き出していた。こうした先例のある表現テクニックを使いこなせなかったのは、アニメーターの勉強不足ではないか。

【短評】INGRESS

【評価:☆】
 原作は、ポケモンGoの先駆けとなった拡張現実がらみのモバイルゲームで、Googleマップに表示された現実の場所を拠点とする陣取り合戦。Googleのサービスとして提供され、アメリカと日本でそこそこの人気を得たことから、アニメも、Netflixによる先行配信、フジテレビの新アニメ枠『+Ultra』での第1弾と、業界ではそれなりに期待されたようだ。だが、完成作は「なにこれ?」と言いたくなるほど。
 ゲームのアニメ化は頻繁に行われるが、AVGやビジュアルノベルを原作とするもの(『Fate/stay night』『STEINS;GATE』など)以外に成功例は少ない。失敗の理由は明らかだ。ストーリーが面白くないのである。通常のゲームは、プレイに集中できるように重いドラマを排除するので、アニメ化する場合には独自のストーリーを練り上げなければならない。だが、ゲームと共通基盤を持たせるための制約が大きく、脚本家が才能を発揮できない。
 さらに、『INGRESS』の場合は、笑ってしまうほど作画が酷い。キャラの心理が全く表現できておらず、登場人物が危地から脱しようと必死で逃げる場面は、単に手足を動かして前に進んでいるようにしか見えない。最新技術を駆使したスマートCGアニメだそうだが、技術に頼って魂を入れ忘れたとしか言い様がない。

【短評】神様のメモ帳

【評価:☆☆】
 暴力団や麻薬が関与する陰惨な犯罪と、それを解決する「ニート探偵団」の妙に軽い描写がアンバランスな作品で、どうにも居心地が悪く楽しめなかった。ニート探偵団の中心人物は、大人っぽい話し方と幼女のような外見がちぐはぐな少女・アリス。ぬいぐるみを愛好し極端な偏食で、いかにもエキセントリックな天才に見せかけているものの、発話の内容をよくよく考えると、大した中身のない妄言である。ハッキングによって犯罪に関する情報を入手し、そこから真相を推理するようだが、何を根拠にどう推理したかは示されず、結論を導くまでの論理性に欠ける。ニート探偵団の他のメンバーも、女性を落とすことにかけては天才的な美青年など人物設定が非現実的な割に、キャラデザがあまりに平凡で面白味がない。取り上げられる犯罪は、暴力団の金を持ち逃げした男の追跡など、さして捻りのないありきたりなもの。
 ただし、原作者・杉井光がアニメ用に原案を書き下ろした第1話(1時間のスペシャル版)は、陰鬱で後味の悪い真相が興味深く、ニート探偵団の紹介を省いて事件に関わった人の内面をもう少し深く描き込んでいれば、佳作と言える出来になったろう。これを冒頭に置き、ラストが盛り上がる原作第1巻のエピソードを締めに使った水上清資のシリーズ構成は、なかなか巧みである。

【短評】3月のライオン

【評価:☆☆☆】
 講談社漫画賞・手塚治虫文化賞に輝く羽海野チカの名作を、名匠・新房昭之(『魔法少女まどか☆マギカ』『化物語』)が見事にアニメ化……するかと思いきや、意外とギクシャクした展開。原作のストーリーラインが必ずしも一貫しておらず、制作の方針が定まらなかったのか。高校生のプロ棋士を主人公にしながら、将棋の厳しさを追求しきれず、擬似家族による癒やしや学校でのいじめ問題へと話がコロコロ変わる。囲碁を通じて人としての生き方を語った『ヒカルの碁』などに比べると、どうにも物足りない。
 ただし、美術設定・画面設計を担当した名倉靖博(『天使のたまご』『メトロポリス』)のおかげだろう、作画は実に味わい深い。実際には殺風景な運河沿いの街並みが、輝かんばかりの光景に変貌している。

【短評】響け! ユーフォニアム

【評価:☆☆☆】
 高校の吹奏楽部をフィーチャーしたウェルメイドな作品。第1期は、コンクール入賞を目指して、有能な指導者の下で部員が力を合わせる姿が描かれる。もっとも、やや強権的な指導法は、私にはやりすぎのように感じられて、楽しめなかったが。第2期になると、人間関係の難しさを前面に押し出し、心をサンドペーパーで擦られるようなヒリヒリした物語となる。第1期・第2期を通じて、高校生活の陰陽両面を描き出したと言うべきか。

【短評】もやしもん

【評価:☆☆】
 某農大の発酵学研究室を舞台に、教授や院生、学部学生らの日々を描き出す学園物語だが、「細菌やウイルスが肉眼で見える特殊能力の持ち主」という主人公の設定がうまく生かされておらず、研究を媒介として増幅される大学生活の面白さが描き切れていない。獣医学部を取り上げた佐々木倫子の傑作漫画『動物のお医者さん』と比べると、弱点がよくわかる。動物を通して人間同士の結びつきを浮き上がらせた『動物のお医者さん』と異なり、『もやしもん』では、物語を展開するきっかけとして、かわいい男子学生の女装や学園祭でのドタバタなど、発酵とは無関係の出来事を利用することが多い。第2期になると、学外でのエピソードが増えて、ネタ切れ感がいっそう強まる。

【短評】ハナヤマタ

【評価:☆☆☆】
 監督のいしづかあつこは、『さくら荘のペットな彼女』『ノーゲーム・ノーライフ』『宇宙よりも遠い場所』などで人気を得たが、私はこれらの作品が好きではない。ややあざとさを感じさせるベタな設定に基づき、軽いノリでエピソードをつなげていくいしづかの作風は、芸術や社会といった大きな問題と向き合うテーマ性の強い作品とソリが合わない。その点、『ハナヤマタ』は、仲の良い女子中学生が祭で「よさこい」を踊るだけのシンプルなプロットであり、能天気なキャラも笑って許せるハレの物語なので、素直に楽しめた。

【短評】マクロスシリーズ

【評価:☆☆(第1期ほか)/☆☆☆(『マクロスプラス』)】
 ガンダムと並ぶ人気シリーズだが、基本設定にリアリティが感じられないため、私は好きではない。第一に、「歌で宇宙を救う」というプロットが、いかにも作り事めいている。エイリアンとの戦争という冷酷なハードSFに、アイドルの楽天的な物語を加味することで、小中学生の歓心を買おうとする下心が透けて見える。第二に、シリーズ中に必ず登場する変形ロボットが、工学的に無理のある構造をしており、どうにも腹立たしい。『装甲騎兵ボトムズ』などの無骨なメカの方が、私好みである。
 そうした中で、(後に『カウボーイビバップ』で再結集する)監督・渡辺信一郎−脚本・信本敬子−音楽・菅野よう子によるOVA『マクロスプラス』だけは、ヴァーチャルアイドルによる歌唱がマインドコントロールの手段となることを匂わせるなど、リアルで心に迫る出来に思える。

【短評】この素晴らしい世界に祝福を!

【評価:☆☆☆】
 近年流行している異世界召喚/転生もののパロディ。不慮の事故で死んだ主人公が、態度の悪い女神アクアを道連れに、RPG風の世界に転生するのだが…。司祭役となるアクアをはじめ、中二病の魔道士めぐみんやドMの女騎士ダクネスなど、同行するのが常軌を逸した美少女ばかりで、爆笑要素満載の快作である。のんびりとしたエンディングもステキ。RPGネタに依存するギャグが多いので、笑える人と笑えない人がいるかもしれない。

【短評】ピンポン

【評価:☆☆☆☆】
 きわめて個性的で熱烈なファンの多い湯浅政明の脚本・監督作品だが、彼にしてはおとなしい内容。湯浅は、WOWOWで放送された『ケモノヅメ』(06年)と『カイバ』(08年)で試行錯誤を繰り返した後、メジャーデビューとなったフジ・ノイタミナ枠の『四畳半神話大系』(10年)で一つの頂点を築く。『ピンポン』(14年)は、同じノイタミナ作品として期待されたものの、松本大洋による原作漫画の完成度が高いせいか、極端なデフォルメや自在な色使いなど湯浅独自の表現は抑制され、「ふつうのアニメ」に近い。それでも秀作と言える出来になったのは、さすがだが。

【短評】フルメタル・パニック!

【評価:☆☆☆(第1〜3期)/☆(第4期)】
 「若き傭兵が超常的な能力を持つ女子高生を敵から護衛する」という賀東招二によるライトノベルを原作とするアニメ。原作が、シリアスな長編とコミカルな短編とに書き分けられているのに対して、4期にわたるアニメは、この配分が各期ごとに異なる。第1期『フルメタル・パニック!』(監督:千明孝一、制作:GONZO)は、シリアス/コミカルな要素が入り混じっており、さまざまな視点から楽しめるウェルメイドな作品。第2期『フルメタル・パニック? ふもっふ』と第3期『フルメタル・パニック! The Second Raid』(いずれも、監督:武本康弘、制作:京都アニメーション)は、前者がコミカル、後者がシリアスと対照的な内容。第4期『フルメタル・パニック! Invisible Victory』(監督:中山勝一、制作:XEBEC)になると、シリアスを通り越して冷酷・残虐な展開となる。私は第2期が好きで第1期と第3期はまあまあ、第4期は嫌いと、はっきり好悪が分かれた。

【短評】ヨルムンガンド

【評価:☆☆☆】
【ネタバレあり】
 紛争地帯の現状に目を向け、少年兵の過酷な実態と、背後に蠢く武器商人の反倫理性を暴いた作品であり、その点は評価できる。ただし、具体的な描写には、批判すべき点が多い。ハードボイルドタッチを装いながら、随所でおふざけが過ぎ、無造作に繰り返される人殺しが、何の目的もないただの殺戮にしか見えない。これでは、戦争に真剣に向き合っているとは思えない。
 武器商人のココは、地上から戦争を消滅させる秘策を持っているかのように振る舞うが、ラストで明かされるその内容は噴飯物。少年兵だったヨナが、なぜココに付き従うのか、その心情もきちんと描かれていない。意欲作ではあるものの、高評価は付けられない。

【短評】ガサラキ

【評価:☆☆☆】
 『装甲騎兵ボトムズ』などのリアルロボットもので知られる高橋良輔の問題作。初めの何話かは、中央アジアの小国で起きた内戦を巡って緊迫感あふれるシーンが続き、巨大ロボットアニメの最高傑作とも言える出来。謎を秘めた二人の主人公・憂四郎とミハルの関係も気を惹き、興味津々の展開。
 しかし、途中からストーリーが怪しくなる。冒頭から断片的に示されたオカルト要素が中盤にかけて濃厚になり、輪廻転生を巡る因縁が話の流れを滞らせる。かと思うと、後半は一転して、日米経済摩擦を力で一刀両断しようとするキナ臭い内容に。憂四郎とミハルは影が薄くなり、最終話では、日米紛争が急転直下の解決かという瞬間にオカルト要素が舞い戻り、さらなる事件の予兆を漂わせて幕。どうやら、野崎透による全体構想の途中まで描いた段階で、放送枠が尽きたらしい。劇場版でケリをつけるという声もあったようだが、結局、尻切れトンボのままになった。
 「残念アニメ」の代表作である。

【短評】大正野球娘。

【評価:☆☆☆】
 大正時代、良妻賢母育成を目指す女子高の生徒が野球チームを結成するという物語で、いかにも絵空事のように思えるが、実は、この時代に女子野球部が存在したことを示す証拠写真があるそうだ(私は実見しておらず、新聞コラムの受け売り)。それによると、ミットやスパイクまで揃えた本格的なもので、相当に使い込まれたユニフォームから、真剣なプレーが行われていたことが窺えるという。
 女子野球に対する憧れは、日本でもアメリカでも昔からのもの。男子チームに女性が混じるという話には、小説『赤毛のサウスポー』や漫画『野球狂の詩』などがあるし、女子リーグを取り上げたのが映画『プリティ・リーグ』と小説「1950年のバックトス」、そして、女子チームが男子チームに挑戦するというのが、アニメ『プリンセスナイン 如月女子高野球部』と本作(原作はライトノベル)である。
 アニメ『大正野球娘。』は、これらの作品中、リアリティを失わず爽やかな後味を残すという点で、「1950年のバックトス」と並ぶ女子野球ものの名作と言って良いだろう。男子チームと戦うシーンも無理がなく、和装と洋装が混在する大正ファッションも巧みに取り入れられており、素直に楽める。