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原作とアニメの悩ましい関係

 アニメには、マンガやラノベを原作とするものが多いが、こうした作品の評価には難しい問題がつきまとう。それは、「原作に忠実である」ことと「アニメとして優れている」ことが、必ずしも両立しないという点である。

 アニメはマンガ・ラノベとは全く異質のメディアであり、独自の表現技法が備わる。したがって、優れたアニメを作ろうと思うならば、原作から離れて自由に創作すべきである。ここで参考になるのが、小説を実写映画にしたケースだろう。例えば、ヒッチコックは、原作はあくまでプロットを案出するための足がかりだと割り切って、全く異なる映画を平然と作った。『めまい』では、原作がラストのどんでん返しで読者を驚かせるミステリであるにもかかわらず、映画の中盤でトリックをバラして心理ドラマを盛り上げる道を選び、結果的に、映画史上最高傑作の1本と讃えられる作品に仕上げた。アニメ化に際しても、原作に忠実かどうかよりも、アニメとしての完成度を優先してほしい。

 しかし、そうとばかりも言っていられないのが、過酷な状況に置かれた現在のアニメ業界である。アニメは、マンガや小説に比べて制作に多額の資金が必要なので、ディスクやグッズの売り上げが損益分岐点を越えることが要請される。そのためには、ヒットしたマンガやラノベを原作に選び、原作ファンが財布の紐を緩めるようなアニメ作りをしなければならない。できるだけ原作に忠実に作り、ファンに媚びを売ることが求められるのである。

 特に難しいのは、原作(マンガやラノベの他、一般小説や映画もあり)が傑作の場合である。優れた原作は、そのメディア特有の表現技法を極限まで活かしていることが多く、ストーリーを追うだけでは、劣化コピーにしかならない。さりとて、アニメの独自性を発揮した作品にすると、原作ファンがそっぽを向く結果になりかねない。

 ここでは、私の個人的な評価に基づき、レビューしたアニメ作品の中から何本かピックアップして、「原作に対する忠実度」と「アニメとしての完成度」を表す散布図を描いてみた。レビューするのはアニメとして優れていると感じた作品が中心になるので、どうしても、図の右寄りに集まってしまうが、それでも、忠実度と完成度が必ずしも相関していないことがわかるだろう。

原作とアニメの悩ましい関係

 原作に忠実な傑作アニメの代表が『蟲師』である。単に、原作のストーリーを忠実に辿るだけでなく、モノクロの漫画を緻密な描き込みを加えたカラー動画に作り替えた上、作品世界を深化させる含蓄豊かな音響を加えることで、アニメならではの優れた作品を生み出した。

 これに対して、『寄生獣 セイの格率』や『新世界より』では、ストーリーは原作通りなのに、アニメ的な演出が拙劣で内面描写が乏しく、原作に横溢していた切迫感が失われた。

 興味深い作例が『すべてがFになる』である。ミステリ小説である原作は、トリックに溺れてドラマが貧弱で、ミステリとしては大した作品でない。人気が出たのは、主にキャラの面白さによるもので、エキセントリックな天才に憧れる民心を捉えた結果である。原作ファンに媚びを売るなら、このキャラを活かさない手はない。しかし、アニメでは意図的に原作と異なるキャラ設定を行い、ヒロインは、美人とは言えない鬱屈した女性にされた。その一方で、各人の心理を掘り下げるとともに、アニメならではの表現テクニックを随所に盛り込んでおり、アニメとして傑作だと私は思うのだが、原作ファンに嫌われたせいか、世間的評価は悲しいほどに低い。

 優れたアニメは、アニメーターが作品世界にのめり込み、豊かな創造性を発揮したときにこそ生まれる。原作に忠実かどうかは、必ずしも作品の質を決定づけるものではない。原作ファンは、オリジナルから離れるだけで嫌がるが、アニメと原作は別の作品として割り切ってほしい。

(2017年10月07日)