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同じアニメを繰り返し見ると…

 私は、好きなアニメを何度も繰り返し見る。この習慣ができたのは、ホームビデオが自由に使えるようになった80年代後半からで、『機動警察パトレイバーTV版』や『ふしぎの海のナディア』の録画は、テープがよれよれになるまで見た。『新世紀エヴァンゲリオン』では、まず(ピッタリとCMカットするためストップウォッチ片手にビデオデッキを操作しながら)リアルタイムで鑑賞した後、1週間にわたって毎晩一度は見直し、次回の放送に備えた。

 繰り返し見ることのメリットは、細部にまで注意が行き届き、作者が込めた意図を適切に読み取れるようになること。劇場用アニメで最も多く見たのは、宮崎駿の『ルパン三世 カリオストロの城』で、22回(うち3回は映画館)まで数えていたものの、その後でわからなくなった(多分、40回近く見ている)。これだけ見ると、宮崎の演出テクニックがはっきりする。

 例えば、ルパンの特性として、垂直方向の移動はお手の物で、数十メートルの高さから飛び降りても何ともないが、飛び道具に対しては慎重なことが、前半できちんと描かれている。この描写が伏線となり、中盤以降の展開において、屋根からの大跳躍はギャグなのに、銃で撃たれると深刻な事態になることが、すんなりと受け容れられる。こうした「伏線を張る」演出ができないと、主人公が窮地に陥っても、どの程度のリスクがあるのかわからないので、視聴者のエモーションを掻き立てられない。宮崎アニメがいかに緻密な計算に基づいているかは、繰り返し見ると実感する。

 アニメを繰り返し見ることに馴染めない人もいるようだが、おそらく、ストーリー中心に鑑賞するため、ひとたび筋がわかってしまうと、見直しても新味が感じられず、面白くないのだろう。私は脚本重視派だが、ストーリーではなくドラマに集中する。ストーリーとは、作品内における出来事の系列であり、バトルの勝敗や恋愛の帰趨などが含まれるので、こうした事柄に気を取られる人は、一度見れば充分なのかもしれない。一方、ドラマは、あるシチュエーションに置かれたキャラクターがどのように応答するかに集約されるので、繰り返し見ることが役に立つ。

 『十二国記』第3部では、多くの登場人物が正体を隠したまま行動するが、このとき、誰が誰の正体を知っているかを把握すると、各人の台詞や表情の裏に隠された意味がわかり、ドラマチックな展開に心が揺さぶられる。『涼宮ハルヒの憂鬱(第1期)』でキョンがハルヒに再度声を掛けた理由は、最終回を注意深く鑑賞しないとわからない。彼の台詞を記憶に刻んだ上で冒頭から見直すと、アニメーターたちが実に繊細にキャラの心理を描いていると判明する。『けものフレンズ』でミライさんの映像を見たサーバルが涙を流した理由は、ストーリーの中では明かされず、回収されることなくちりばめられたままの伏線をきちんと読み解いて、初めて腑に落ちる。

 「優れたアニメは、3度目に最も感動する」というのが、私の持論である。1度目は、どうしてもストーリー展開が気になって、ドラマに没入できない。話の流れを掴んだ上で見直した方が、クリエーターたちの思いがしっかりと伝わってくる。特に、『true tears』『無限のリヴァイアス』『フリップフラッパーズ』のように多義的な−−表現に曖昧さはないが、何通りもの解釈が可能な−−作品の場合は、複数回見なければ真に感動することは難しいだろう。

 アニメは、音楽や映画などと同じく、時間芸術である。小説ならば、重要な部分に意識を集中し熟読することも可能である。マンガの場合、作者が思いを込めて描いたコマから目が離せなくなった経験を持つ人は多いだろう。しかし、アニメを鑑賞するとき、時の流れを止めることは(一時停止や巻き戻しの機能を使わない限り)できないし、真に感動したければ、止めるべきではない。時間の流れに沿って視聴覚すべてに訴える表現が展開されていくのが、アニメの醍醐味だからである。

 好きな音楽を1度聴いただけで満足する人は、あまりいないはずである。それと同じように、好きなアニメを何度も見返すのは、アニメファンならば当然のことである。

(2018年03月10日)